幕末の女医、松岡小鶴 1806-73――柳田国男の祖母の生涯とその作品

価格: ¥3,520 (税込)
[ポイント還元 140ポイント~]
数量:
在庫: 在庫あり

返品についての詳細はこちら

twitter

  • 門玲子 編著
  • 四六上製 288ページ
    ISBN-13: 9784865780802
    刊行日: 2016/08
  • “日本民俗学の父”柳田国男の祖母は、漢学の素養のある女性医師だった!

    ◎松岡小鶴は、独学で学問し、一人息子を育て、医者をつとめ、寺子屋をいとなんだ。
    ◎離れて暮らす息子を思う手紙や、母としての思いを書き綴った「南望篇」、すぐれた天分を発揮した漢詩、心こもる手紙――小鶴の世界を現代語訳で読み解いた、初の紹介!

    目次


     はしがき――『小鶴女史詩稿』について  門 玲子
     小鶴女史について  門玲子

    小鶴女史詩稿
     本稿の成立について(門玲子)
     第一部 南望篇(松岡小鶴 著・編 天保十五年成立)
     第二部 詩稿・文稿(松岡小鶴 著・松岡文 編 安政二年成立)

    〈附〉歌二十七首(松岡小鶴作)

     原典の複写(西尾市岩瀬文庫蔵)
     参考文献/あとがき

    関連情報

    松岡小鶴(まつおか・こつる)
    文化3(1806)年~明治6(1873)年。播磨国神東郡田原村辻川の医者・松岡義輔と、妻なみ(桂氏)の長女として生まれる。
    天保2(1831)年、26歳の時、隣村の川辺村網干の中川至を婿に迎えた。翌年、男子・文(のち操)が生れる。天保8年、母なみ没。翌9年に至と離縁し、以後一人で文を育てる。天保11(1840)年、父義輔が没し、その後父の医業を継いで、当時珍しい女性の医者となった。文を学問修業のため手ばなしてからは、近隣の子女を集めて、詩文や学問を教えた。弘化2(1845)年には姫路藩より表彰を受けた。文(操)は儒者として、姫路の熊川舎の舎監を務め、維新後は各地の学校で漢学を教えた。柳田国男をはじめとする操の5人の子供たちは、医者、学者、歌人、画家として活躍した。
    小鶴の著書には、『小鶴女史詩稿』『松岡小鶴女史遺稿』その他がある。


    ◎私が『小鶴女史詩稿』を初めて見たのは、愛知県西尾市の岩瀬文庫で毎年開催される「こんな本があった!」報告展の平成17(2005)年の展示の時である。『小鶴女史詩稿』は「柳田国男の祖母の詩文集」として紹介されていた。
     江戸時代の女性の文章を主として読み込んできた私は、すぐそれに目を留めた。柳田国男の祖母とあるのにも惹かれたが、女性の文章で全編漢文というのに強い印象をうけた。なぜなら女性の文章は伝統的に和文が多いからだ。

    ◎『小鶴女史詩稿』の後半の「南望篇」は、一人息子文(操)への強烈な母性愛と、家門を興そうとする使命感から、息子への叱咤激励の言葉に満ちている。前半の「詩稿・文稿」は少し趣きを異にする。詩稿の十九首の作には、題詠もあるが、折にふれての感懐、歴史上の悲運の人物への強い共感を詠んだもの、また微少な生き物に託して老荘的人生観をユーモラスに詠んだ作など、他の女流詩人にあまり見られない主題が扱われている。文稿の八通の書簡では、最も親しかった若き大庄屋三木通深、その他の人々にあてて、自身の人生観や、人の生き方への批評、儒教仏教や人の生死に関する形而上的な思考の過程を披瀝している。
    (本書「はしがき」より)


    門 玲子(かど・れいこ)
    1931年、石川県加賀市生まれ。作家、女性史研究家。総合女性史研究会、知る史の会。著書に『江戸女流文学の発見――光ある身こそくるしき思ひなれ』(毎日出版文化賞)『わが真葛物語――江戸の女流思索者探訪』『江馬細香』(藤原書店)。訳注に『江馬細香詩集「湘夢遺稿」上下』(汲古書院)。

    ページトップへ