- 石牟礼道子/赤坂憲雄/赤坂真理/池澤夏樹/いとうせいこう/今福龍太/宇梶静江/笠井賢一/鎌田慧/
姜信子/金大偉/栗原彬/最首悟/坂本直充/佐々木愛/高橋源一郎/田口ランディ/田中優子/塚原史/
ブルース・アレン/町田康/真野響子/三砂ちづる/米良美一 - 四六上製 304頁
ISBN-13: 9784865782158
刊行日: 2019/4
劇、詩、歌の豊饒さに満ちた石牟礼文学の魅力とは?
石牟礼道子の“芸能の力”を語りつくす!
目次
序 天 日本の「原風景」とはなにか 石牟礼道子
Ⅰ 石牟礼道子と芸能 2017. 3. 11
〈シンポジウム〉石牟礼道子の宇宙 赤坂真理・いとうせいこう・町田康・赤坂憲雄(コーディネーター)主催者挨拶(藤原良雄)
第一部 シンポジウム〈基調発言〉
第二部 ディスカッション
花を奉るの辞 石牟礼道子
Ⅱ 『完本 春の城』 をめぐって
〈解説〉私たちの春の城はどこにあるのか?――『完本 春の城』の解説から 田中優子〈講演〉石牟礼道子『春の城』のこと 田中優子
Ⅲ 生類の悲 2013. 2. 8
魂だけになって 石牟礼道子〈講演〉石牟礼さんの小説の世界が、決定的に違う言葉を持った秘密 町田 康
原初的生命に黙禱――町田康『告白』の解説から 石牟礼道子
Ⅳ 『石牟礼道子全集』 完結に寄せて 2014. 7. 21
『全集』 本巻 完結に寄せて 石牟礼道子〈シンポジウム〉今、なぜ石牟礼道子か 池澤夏樹・高橋源一郎・町田 康・三砂ちづる・栗原 彬(コーディネーター)
主催者挨拶(藤原良雄)
第一部 私にとっての石牟礼道子
繊細なものを聞き取る力を求めて 高橋源一郎
生類の境目 町田 康
石牟礼道子の記憶の窓 三砂ちづる
世界文学としての『苦海浄土』 池澤夏樹
第二部 パネルディスカッション
みなさまへ 石牟礼道子
Ⅴ 追悼・石牟礼道子 2018. 3. 11
共催者挨拶 塚原史〈講演〉私にとっての石牟礼道子――彼女の立っている場所 高橋源一郎
〈講演〉水俣の魂に引き寄せられて 田口ランディ
〈追悼コメント〉
近代の彼方には「じょろり」でゆく 姜 信子
境界を行き来する魂 田中優子
今、石牟礼さんの気配は充ちている 最首悟
身体を潜り抜けた世界を再構築した作家 鎌田 慧
石牟礼作品を世界に ブルース・アレン
わが内海に立つ不知火 今福龍太
石牟礼道子、苦海のほとりから 赤坂憲雄
言葉の原郷 町田 康
石牟礼道子とは誰だったのか? 赤坂真理
「魂だけになって」――石牟礼道子さんの歌をつぐ 笠井賢一
石牟礼さんのこと 坂本直充
魂のふれあいと手料理の味 米良美一
石牟礼道子さんに共感したこと 宇梶静江
石牟礼文学を舞台で表現すること 佐々木愛
撮影現場の記憶から 金 大偉
憂国の志情――あとがきにかえて 石牟礼道子
初出一覧
執筆者プロフィール
関連情報
■赤坂憲雄
僕のような民俗学者の眼から見ますと、『春の城』は何という生き生きとした繊細な民俗の記録になっているのだろうと感じてしまいます。たとえば水俣に入った民俗学者が、こんなに生き生きとした民俗誌を書くことができるか。絶対にできないですね。石牟礼道子さんという存在に対して、おそらく民俗学者たちは畏怖を覚えて、そして言葉には決してしないけれども、嫉妬に悶えてきたのだろうと思います。
■町田康
特に感じたのは、鈴木三郎九郎重成という、原城を攻撃する側の人のその後のことが、割とやや蛇足的に、小説の本筋として描く必要はあまりないと思うんですけど、このことは絶対書かなきゃいけなかった的に書いてある。小説の中にあまりストーリーラインの中に取り込めずに、本当につけ足しのように。でもこれは絶対小説家として、このことで小説として破綻するとしても、絶対一言でも言及しとかなきゃという石牟礼さんの思いがある。
■いとうせいこう
僕が話を聞いてきた多くの人の中でも、石牟礼さんは全く違う回路を持っていて。質問をすると、まず全然違う話をするんですよ。そのまま聞いていると、わあっと大きくなって、歌を歌い出して、結構それがなかなかいいブルースなんですよね。そうすると二、三〇分して、ちゃんと最初の質問に戻ってくるんです。こんな人、僕は後にも先にも石牟礼さんしか会ったことがない。物語っちゃうんですよ、長編を。
■赤坂真理
「沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな」と杢太郎の爺やんが言うのですが、これよりおいしそうなごはんには出逢ったことがありません。わたしは『苦海浄土』を読んだときに心身が病んでいました。毎日、することは、長大な書物をひもとくことだけで、おいしいごはんをもらっているようで、読み終えると目を閉じて光凪をじっと感じている。そのようなことをしていたら、心身が癒えたのです。
僕のような民俗学者の眼から見ますと、『春の城』は何という生き生きとした繊細な民俗の記録になっているのだろうと感じてしまいます。たとえば水俣に入った民俗学者が、こんなに生き生きとした民俗誌を書くことができるか。絶対にできないですね。石牟礼道子さんという存在に対して、おそらく民俗学者たちは畏怖を覚えて、そして言葉には決してしないけれども、嫉妬に悶えてきたのだろうと思います。
■町田康
特に感じたのは、鈴木三郎九郎重成という、原城を攻撃する側の人のその後のことが、割とやや蛇足的に、小説の本筋として描く必要はあまりないと思うんですけど、このことは絶対書かなきゃいけなかった的に書いてある。小説の中にあまりストーリーラインの中に取り込めずに、本当につけ足しのように。でもこれは絶対小説家として、このことで小説として破綻するとしても、絶対一言でも言及しとかなきゃという石牟礼さんの思いがある。
■いとうせいこう
僕が話を聞いてきた多くの人の中でも、石牟礼さんは全く違う回路を持っていて。質問をすると、まず全然違う話をするんですよ。そのまま聞いていると、わあっと大きくなって、歌を歌い出して、結構それがなかなかいいブルースなんですよね。そうすると二、三〇分して、ちゃんと最初の質問に戻ってくるんです。こんな人、僕は後にも先にも石牟礼さんしか会ったことがない。物語っちゃうんですよ、長編を。
■赤坂真理
「沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな」と杢太郎の爺やんが言うのですが、これよりおいしそうなごはんには出逢ったことがありません。わたしは『苦海浄土』を読んだときに心身が病んでいました。毎日、することは、長大な書物をひもとくことだけで、おいしいごはんをもらっているようで、読み終えると目を閉じて光凪をじっと感じている。そのようなことをしていたら、心身が癒えたのです。