ISBN-13: 9784865782332
刊行日: 2019/07
真に「書くべき程の事」を書き留めた詩的批評文集
孤高の基督者・内村鑑三、宗教哲学者・波多野精一ら、近代日本において信仰の本質を看取した存在を通して、〈絶対なるもの〉に貫かれる経験を批評の軸としてきた新保祐司。すべてを〈人間〉の水準へと「水平」化し尽くす近代という運動の終焉を目の当たりにして、「上」からの光に照らして見出された文学・思想・音楽の手応えを簡明かつ鮮烈に素描した、珠玉の批評を集成。
目次
序 上よりの垂直線
第Ⅰ部 見るべき程の事は見つ――平知盛
序 章
なにかある。本当になにかがそこにある。
シャルトル大聖堂の上空から切り取られた青空
エズのニーチェの道で拾った小石
マーラーの第三番の“long Adagio”
ヨークの宿の「笑う騎士」
雪のコッツウォルズ
ル・コルビュジエの「休暇小屋」
異郷にて五十の年も暮れにけり
リラダンの墓に献花する齋藤磯雄
キルケゴールの通過
「ラズモフスキイをくれ」「何番ですか」「三つともくれ」
信時潔作曲「紀元二千六百年頌歌」
信時潔作曲「やすくにの」と「武人の真情」
日本解体の時流に抗する「遺臣」
三好達治の「おんたまを故山に迎ふ」
日本思想史に鳴った「切り裂くような能管の音」
デフォー『ロビンソン・クルーソー』
第Ⅱ部 北の国のスケッチ
序 章
空知川の川音
にしん漬
いではみちの奥見にまからん
江差追分
江差沖で沈んだ開陽丸
白髪の遺臣
第Ⅲ部 楽興の詩情
音楽のために狂える者――クナッパーツブッシュと内村鑑三
エクセントリックということ――クナッパーツブッシュのブルックナー
カリスマ性にみる名演奏家像――音楽における宗教的なるもの
ブルックナーの使徒性
往年の名演奏と現代の名演奏
フルトヴェングラー没後50年
グレン・グールド
骨立する音楽
グレン・グールドとブラームス
ルドルフ・ゼルキン
音が立つということ
アナトール・ウゴルスキ
21世紀に受け継ぎたい20世紀の名演
トポスとしてのウィーン――何故ウィーン・フィルなのか
宇宿允人――アウトサイダーという正統
パブロ・カザルスと本居宣長――“発見”と“創造”
関連情報
今日では、時間さえかければ誰でも「バターと卵と塩と香草」そしてその他諸々について、知識や情報を「寄せ集め」ることが可能になった。歴史の本は夥しく書かれ、伝記は大作になり詳細を極めるようになった。しかし、見事な「オムレツ」は稀である。本当に必要なのは、ストレイチーのいうように「ほんの数頁のあざやかな肖像画」なのだ。スケッチの「簡明さ」こそ、「思想が走るために」 は「必要」だからである。(本書より)
【著者紹介】
●新保祐司(しんぽ・ゆうじ)
1953年生。東京大学文学部仏文科卒業。文芸批評家。 著書に、『内村鑑三』(1990年。文春学藝ライブラリー、2017年)『文藝評論』(1991年)『批評の測鉛』(1992年)『日本思想史骨』(1994年)『正統の垂直線――透谷・鑑三・近代』(1997年)『批評の時』(2001年)『国のさゝやき』(2002年)『信時潔』(2005年)『鈴二つ』(2005年)[以上、構想社]、『島木健作――義に飢ゑ渇く者』(リブロポート、1990年)、『フリードリヒ 崇高のアリア』(角川学芸出版、2008年)、『シベリウスと宣長』(2014年)『ハリネズミの耳――音楽随想』(2015年)[以上、港の人]、『異形の明治』(2014年)『「海道東征」への道』(2016年)『明治の光・内村鑑三』(2017年)『「海道東征」とは何か』『義のアウトサイダー』(2018年)[以上、藤原書店]、『明治頌歌――言葉による交響曲』(展転社、2017年)がある。また編著書に、『北村透谷――〈批評〉の誕生』(至文堂、2006年)、『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画、2006年)、『別冊環?内村鑑三 1861-1930』(藤原書店、2011年)がある。
2007年、第8回正論新風賞、2017年、第33回正論大賞を受賞。