評伝 関寛斎 1830-1912――極寒の地に一身を捧げた老医

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  • 合田一道 著
  • 四六上製 328頁
    ISBN-13: 9784865782721
    刊行日: 2020/05

医をもって人を救い、世を救う――生誕190年記念出版


佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、徳島藩典医に抜擢されるも、惜しげもなくその地位を去り、一介の町医者として市井の人びとに尽くす。さらに晩年には、平等社会の実現を志して、北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じた無私の人、関寛斎(1830-1912)。徳冨蘆花、司馬遼太郎らも注目したその波瀾の生涯と不屈の信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。

■本書より
祖父が生前、ふと漏らした言葉がある。
「一度でいいから、しょっぱい川を渡って故郷へ帰りたい」
しょっぱい川とは津軽海峡を指す。しょっぱい川を渡って北海道に入植した開拓者たちは、ほとんどが名もない人たちで、想像を絶する大自然の猛威と闘いながら大地を切り拓き、何事もなかったように、黙然として逝った――。
だが関寛斎は違う。戊辰戦争が起こると、徳島藩の典医の身から新政府軍の奥羽出張病院長になり、戦後は典医を辞して町医者になり、人々を病苦から救済しようと努力した。そのうえ高齢をものともせず、妻アイとともに北海道に渡り、もっとも気候が厳しいとされる十勝国の未開の原野に入植し、そこに理想郷を築こうとしたのである。
栄誉も財産もすべて擲って挑んだ北海道開拓――。寛斎が目指した理想郷とはどんなものであったのか。現存する資料や文献などを用いながら、その足跡を辿ってみたい。それが北海道の大地を慈しみ、開墾していった多くの先人たちの心情にも?がるのではないか、そんな思いで、筆を執った。

■関 寛斎(せき・かんさい)とは……
1830~1912年。幕末の蘭医。佐倉順天堂に学んで頭角をあらわし、徳島藩典医となる。戊辰戦争では官軍の医者として従軍、官軍賊軍の区別なく負傷兵の治療にあたる。戦後は典医を辞し、一介の町医者として徳島で30年以上にわたって人びとに医療を提供、「下駄履きのお医者さん」と親しまれる。
72歳で一念発起し、北海道で最も寒さの厳しい陸別の斗満に入植、人間すべての平等を目標とした理想郷の建設を志し、息子たちとともに開拓に身を捧げた。



【目次】

まえがき
第一章 母の死、関家の養子に 1830-47
第二章 佐倉順天堂で蘭医学を学ぶ 1848-60
第三章 長崎留学で洋医学を学ぶ 1860-62
第四章 徳島藩の御典医に 1862-68
第五章 戊辰戦争、戦雲の軍医 1868
第六章 典医を辞し徳島で開業 1868-79
第七章 北海道に新天地を求めて 1879-1902
第八章 理想と現実の狭間で 1902-05
第九章 平等均一の思想 1905-12
第十章 寛斎が残したもの 1912-
寛斎の町を歩く――あとがきに代えて
関寛斎年譜(1830-1912)
参考文献・協力者
人名索引

【著者紹介】
●合田一道(ごうだ・いちどう)
1934年北海道生まれ。ノンフィクション作家。長く北海道新聞社に勤務し編集委員などを歴任し、1994年退社。その間、幕末から維新にかけての数々のノンフィクション作品を執筆し今日に至る。
著書に『大君(タイクン)の刀』(北海道新聞社)『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)『日本史の現場検証』(扶桑社)『日本人の死に際 幕末維新編』(小学館)『日本人の遺書』『古文書にみる榎本武揚』(ともに藤原書店)等。

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