- 鈴木一策 著
- 四六上製 256頁
ISBN-13: 9784865784039
刊行日: 2023/10
東西文化の古層に横たわるヨモギ
「ハムレット」とケルト文化、薬草と食を重んじるアイヌ文化、モグサを使用したお灸を用いる民間治療、石牟礼道子の作品まで、ヨモギに生かされる人類の知恵を訪ねる旅。(ヨモギの学名:アルテミシア[月の女神])
◎「石牟礼道子との最晩年の対話」収録
目次
序 ヨモギ文化から近代を見直す――東西文化の古層に横たわる「ヨモギ」
第Ⅰ部 ヨモギ文化をめぐる旅――『ハムレット』から『苦海浄土』へ
第Ⅱ部 石牟礼道子の世界
第1章 『苦海浄土』から『春の城』へ――「悶え神」と「蓬文化」
第2章 『春の城』のコスモロジー
〈コラム〉はにかみと悶えが、近代の闇を照らし出す
第3章 天地 の神気に感応する石牟礼文学の根――『食べごしらえ おままごと』に寄せて
第Ⅲ部 石牟礼道子との最晩年の対話――『苦海浄土』から『春の城』へ
(聞き手)鈴木一策
第Ⅳ部 シェイクスピアの世界
第1章 『ハムレット』とケルトの残影
第2章 蛆虫 女神と宇宙のみごとな循環――戯曲『ハムレット』におけるケルト的なもの
〈コラム〉断食で生まれ変わる
〈コラム〉医の源に手当てと食養生あり
初出一覧/あとがき(鈴木鈴美香)
第Ⅰ部 ヨモギ文化をめぐる旅――『ハムレット』から『苦海浄土』へ
第Ⅱ部 石牟礼道子の世界
第1章 『苦海浄土』から『春の城』へ――「悶え神」と「蓬文化」
第2章 『春の城』のコスモロジー
〈コラム〉はにかみと悶えが、近代の闇を照らし出す
第3章 天地 の神気に感応する石牟礼文学の根――『食べごしらえ おままごと』に寄せて
第Ⅲ部 石牟礼道子との最晩年の対話――『苦海浄土』から『春の城』へ
(聞き手)鈴木一策
第Ⅳ部 シェイクスピアの世界
第1章 『ハムレット』とケルトの残影
第2章 蛆虫 女神と宇宙のみごとな循環――戯曲『ハムレット』におけるケルト的なもの
〈コラム〉断食で生まれ変わる
〈コラム〉医の源に手当てと食養生あり
初出一覧/あとがき(鈴木鈴美香)
関連情報
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』には、非西欧的なものが多分に含まれている。五幕一場、墓場の場面で、主人公ハムレットが遺骸を大地に返し、「宇宙のみごとな循環」を体現している蛆虫のことを、なんと「運命の女神Lady Fortune」ならぬ「蛆虫女神Lady Worm」と呼んでいる。このキリスト教徒には絶対にありえない物言いをするハムレットが、三幕二場で「蓬、蓬」と呟いたとき、私はハッとさせられた。英語のヨモギが「蛆虫・草wormwood」であり、その裏に月の女神アルテミスが潜んでいたからだ。ヨモギはラテン語ではアルテミシアと呼ばれ、昔から魔除け虫除けの聖草であった。
石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでいて、蓬に「ふつ」とルビが振られ、幾度も顔を出すことに気づいて、『ハムレット』と『苦海浄土』との底に流れている地下水脈を直感する。
ヨモギを「もむ」と、人知を超えた「奇(くす)しき」香りが漂う。この香りに神気を感じ取ったからこそ、魔除けに用い、虫下しの「薬(くすり)」として使われてきた。
東西文化の古層には、ヨモギの神気への感応が確実にあったのだ。これに反し、ヨモギを「苦い」毒草とするキリスト教は、アルテミス信仰への憎悪の産物であり、「蛆虫草」wormwoodに女神の神気を感じ取ったハムレットは、ケルトの文化やアイヌの文化に通じていたのだ。(本書「序」より)
石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでいて、蓬に「ふつ」とルビが振られ、幾度も顔を出すことに気づいて、『ハムレット』と『苦海浄土』との底に流れている地下水脈を直感する。
ヨモギを「もむ」と、人知を超えた「奇(くす)しき」香りが漂う。この香りに神気を感じ取ったからこそ、魔除けに用い、虫下しの「薬(くすり)」として使われてきた。
東西文化の古層には、ヨモギの神気への感応が確実にあったのだ。これに反し、ヨモギを「苦い」毒草とするキリスト教は、アルテミス信仰への憎悪の産物であり、「蛆虫草」wormwoodに女神の神気を感じ取ったハムレットは、ケルトの文化やアイヌの文化に通じていたのだ。(本書「序」より)
著者紹介
●鈴木一策(すずき・いっさく)
1946年、宮城県仙台市に生まれる。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。哲学、宗教思想専攻。國學院大學、神奈川大学、埼玉大学、中央大学等で非常勤講師を務める。2021年4月18日没。享年74。
著書に、『マルクスとハムレット――新しく『資本論』を読む』(2014年)『熊沢蕃山と後藤新平――二人をつなぐ思想』(2023年、以上藤原書店)。編書に、後藤新平『国難来』(現代語訳・解説、2019年、藤原書店)。訳書に、ピエール・マシュレ『ヘーゲルかスピノザか』(1986年、新評論)、スラヴォイ・ジジェク『為すところを知らざればなり』(1996年、みすず書房)など多数。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1946年、宮城県仙台市に生まれる。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。哲学、宗教思想専攻。國學院大學、神奈川大学、埼玉大学、中央大学等で非常勤講師を務める。2021年4月18日没。享年74。
著書に、『マルクスとハムレット――新しく『資本論』を読む』(2014年)『熊沢蕃山と後藤新平――二人をつなぐ思想』(2023年、以上藤原書店)。編書に、後藤新平『国難来』(現代語訳・解説、2019年、藤原書店)。訳書に、ピエール・マシュレ『ヘーゲルかスピノザか』(1986年、新評論)、スラヴォイ・ジジェク『為すところを知らざればなり』(1996年、みすず書房)など多数。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです