ISBN-13: 9784894348042
刊行日: 2011/5
1924年生まれ、「亡命」40余年、“現代史の生き証人”
「朝鮮戦争」とは何だったのか?
38度線は誰がいつ引いたのか?
「ペンタゴンのスパイか?」「北のスパイか?」……多方面からの根拠のない嫌疑と圧力にも屈することなく南北双方に等距離を保ち、いかなる組織にも肩書きにも拠らずに「亡命」の地、日本に身を置きながら、躯ひとつで朝鮮半島の分断に抵抗し続け、激動の現代史の数々の歴史的現場に立ち会いながら、志を貫いた、その生涯。
【口絵:モノクロ16頁】
目次
第1章 私は小さな鳳仙花の種
鳳仙花の種が黒い土に埋もれるわけは
マッカーサー司令部の同僚たち ―― 頑固者・文牧師との出会い
日帝も米軍政も知れば知るほど同じ穴のむじなだった
日本の狂気に筆を執って抗弁
日米が手を組んでのコリアバッシング
トルーマンの外交顧問ダレスの肚の中
李承晩の寵愛のもと闊歩する親日軍警の群れ
幼い黄?暎が遊びまわった亡父の二百軒村
A級戦犯を救世主イエスに見立てた軍国の後裔たち
神社参拝を拒否した突飛な子供
京畿中学入学 ―― 短かった喜びと永かった苦悩
皇民化の洗礼を受けた後、 韓国軍の首脳部を形成する京畿出身の壬午軍団
解放空間を熾烈に生き、 そして逝った我が友、 李赫基
第2章 「解放軍」 がもたらした戦争
日本のために身を捧げよと叫んだ春園李光洙、 六堂崔南善
嵐の前夜に出会った終生の伴侶
爆撃の恐怖の中での愛の誓い
日本の降伏、 そして 「解放軍」 として迎えられたアメリカ
米軍のソウル入城 ―― その時すでに引かれていた38度線
日本人を救う目的で朝鮮にやってきたアメリカ軍
痛恨の38度線 ―― 一方的に米軍が引きソ連が黙認
民団も総連も参加した夢陽呂運亨追悼講演会
雲散霧消した独立の夢 ―― 夢陽の試練
より進化した日本人、 チンパンジーに近い朝鮮人
突然決定されたアメリカ留学
統一を念願、 40年の歳月を飛び越えた白凡の足跡
私の人生のゴルゴダの丘、 アメリカに第一歩
李承晩大統領の斡旋による奨学金
激浪をかき分け初恋千代子との百年佳約
運命の分かれ道、 UNTCOK (国連臨時朝鮮委員団) による3月12日の票決
色仕掛けで生まれた南だけの分断国家
韓国語を解しえなかった停戦会談の韓国軍代表
ジョイと南日との間の火花を散らす舌戦
ソ連を抜かした 「国連軍」 ―― アメリカによる名義の盗用
朝鮮戦争とベトナム戦争 ―― アメリカ分割統治の双生児
忌避人物の烙印 ―― 板門店からの追放
第3章 ソウルの異邦人
荷物をまとめてソウルへ ―― 14年間の生き別れの始まり
非常戒厳令下のソウル ―― 李承晩への個人的感謝と深い失望
?奉岩の絞首刑 ―― 政権崩壊の序曲
60年7月総選挙 ―― 最初で最後の投票
五・一六クーデター ―― 支持外交に出た日本の内情
70歳の独立運動家の拷問死 ―― 朴正熙による反共法
金を失い家も売り飛ばされた苦難のソウル暮らし
窮乏の中でなされた張俊河先生の思想的変革
良い職場を振り切って追われるように 「亡命」
第4章 亡命時代
新聞社投稿で始めた文筆活動
預言書のようだった著書 『ある韓国人のこころ』
亡命者同士 ―― 金大中との東京での出会い
現代史の激浪の中、 同じ舟に身を任せた3人
安江良介氏との出会い
韓民統との悪縁の始まり
金大中氏への期待と失望の交錯
「私が無政府主義者? 光栄です」
再侵略を目論む日本にぺこつく朴政権
中国を目覚めさせた三・一運動とアメリカに衝撃を与えた四・一九革命
金大中拉致事件の日のこと
「金大中を救って下さい」 ―― キッシンジャーへの哀訴
アジェンデを見放し、 金大中を生かしたキッシンジャー
『世界』 73年9月号の力
韓国の第二の解放と日本の民主化
金大中を非難する極右の大物とのテレビ討論で完勝
反独裁英文情報誌 『コリア・ニュースレター』
朴正熙の緊急措置と 『朝日新聞』 の輸入禁止
尹伊桑、 鄭敬謨、 文益煥からなる反独裁三角編隊の飛翔
無知は犯罪 ―― 韓民統との悪縁
豪華住宅が原因で後見人を失った韓民統
鄭敬謨追放のシナリオ
「お前はペンタゴンのスパイ」 ―― 韓民統の人民裁判
第5章 私塾 「シアレヒム (一粒の力)」 の開設
私塾 「シアレヒム」
一房の菊を咲かせるために
同志意識を目覚めさせた文牧師の獄中書簡
民主闘士となって30年ぶりの再会
カミングス、 マコーマックが我々に明かしてくれる歴史の真実
シアレヒムを支えてくれた頼もしい同志、 金弘茂氏
アメリカ共和党全党大会に合わせた板門店斧蛮行事件
日本の反対で挫折した駐韓米軍撤収
疑問だらけの張俊河転落死
光復軍張俊河と日本軍朴正熙の宿命的な対決
「韓国は将棋で言えば、 日本という王将を守るための飛車である」
韓国蔑視の日本人論客と紙面で全面対決
第6章 アメリカと日本の本質を問う
「アメリカを信じるな」 というカミングスの助言
日本人の偶像に熱狂したアメリカ大統領
桂―タフト密約 ―― 日米の分け前
朴正熙とパーレビ ―― アメリカが育てた双生児
アメリカに棄てられた朴正熙を銃殺
金大中は韓国のホメイニ?
なぜ光州であったのか? なぜ金大中であり韓民統であったのか?
光州の衝撃とアメリカの覚醒
朝鮮を再び日本の懐に ―― アメリカのケナン設計図
アメリカを後ろ盾に華麗な再起を遂げたA級戦犯の岸
消えたマッカーサー、 消えなかったケナン設計図
朝鮮をまた再び…… ―― 日本の根深い執着
明治日本の設計者吉田松陰
第7章 すべての統一は善だ
六・二九民主化宣言と金賢姫の謎
KAL機の爆破と野党圏の分裂 ―― 夢破れた維新清算
ソウルオリンピックに隠されたまやかし
―― 黒幕、 瀬島龍三の意図したもの
軍部政権に食い込んだ瀬島の札束
文牧師のもとに伝えられた平壌発の電報
腹芸で押し切った文牧師の訪北準備
自分がすればロマンス、 他人がすればスキャンダル
「民生団事件には鄭先生も巻き込まれましたね?」
平壌を離れる日 ―― 聞こえてきたフルートの調べ
文牧師も黄?暎も 「私は平壌に行く」
文牧師と渋谷の街で声の限り歌った先駆者の歌
平壌到着の声明文 ―― 「すべての統一は善である」
「民主と統一は一つ」 ―― 鳳水教会での文牧師の説教
金日成主席との抱擁 ―― 心で出会った平壌
「95年を統一元年としよう」 に足払いをかけた在日作家
「私は民族主義をしようと共産主義者になった」
四・二共同声明 ―― 南北統一への第一歩
「赤い悪魔どもに鉄槌」 ―― 金淇春検察総長談話
第8章 抜け殻は去れ
「鄭敬謨に会えば手錠」 ―― そのまま帰ってしまった成来運教授
「池明観氏からなぜそこまで憎まれているのか?」
全玉淑―池明観チームの合同作戦
「平壌の工作員」 であり、 「ペンタゴンのスパイ」 でもある鄭敬謨?
在日作家、李恢成にまつわる喜劇の一幕
池明観と代弁人李恢成
日本歴史はなぜ皇室の始祖を隠そうとするのか?
日本の皇室の秘密を握るもう一つの百済
『古事記』 に記録された 「都牟刈の剣」 は朱蒙刈の大刀
日本の皇国史観と 「痛惜の念」
天皇が言った 「痛惜」 には謝罪の意味どころか……
韓日歴史の究明よりも大衆文化の開放が緊急な課題だったのか?
「ねつ造された反日感情は解消されなくてはならない」 か?
「三八六世代は自分が育てたが……」
第9章 私は元々民族主義者ではないか
ベルリンの壁の崩壊をもたらしたもの
ポーランドの社会主義政権の崩壊と民族主義
天安門広場における自由の女神像の謎
戦争の再発が目前に迫った1994年6月の危機
核をめぐっての葛藤 ―― 終わらぬ戦争
「上着にズボン、 パンツまで? 屈服はできません」 ―― 金日成の覚悟
アメリカが先に破棄した米朝ジュネーブ基本合意
「知易行難」 なのか 「知難行易」 なのか
アメリカの対話ムードと北朝鮮のミサイル発射
和平に向けてのクリントンと金大中の競争
2000年の朝鮮半島、 抱き合った南と北
大統領として登場したスズメほどの頭脳の男ブッシュ
第10章 何も心残りはない
文益煥牧師の突然の死
28年ぶりの帰国を阻む脅迫に倒れた尹伊桑
金主席一周忌の平壌訪問
38度線を越える朴女史 ―― 手に持った北側の嘆願書
悲しむべき時と喜びに踊るべき時
朝鮮戦争のそもそもの始まり
名誉白人的西洋人のふりをしてきた日本人のアイデンティティ危機
日本の土になることを決意したとき
苦難に満ちた歴史の不寝番の生涯 ―― 何も心残りはない
(附) 関連年表 「38度線と朝鮮戦争の起源 1943 ― 1953」
訳者あとがき (鄭剛憲)