ISBN-13: 9784894348493
刊行日: 2012/03
東北人自身による東北の声
「東北」にゆかりの深い聞き手たちが、自らの知る被災者に向き合い、その言葉を書き留めた聞き書き集。
東日本大震災をめぐる記憶/記録の広場へのささやかな第一歩。
目次
はしがき「広やかな記憶の場を組織するために」赤坂憲雄
宮城県
気仙沼市 〈コラム〉熊谷達也/関野吉晴
南三陸町・女川町 〈コラム〉山川徹
石巻市 〈コラム〉高成田享
東松島市
塩竈市・七ヶ浜町・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町・栗原市
岩手県
宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市
陸前高田市・一関市 〈コラム〉斎藤純
福島県
福島市・郡山市
青森県
三沢市・八戸市・弘前市
あとがき「本書の成り立ちについて」土方正志
関連情報
赤坂憲雄
■ここに収められた100人の聞き書きは、ささやかなはじまりの石碑である。わたしたちはそれぞれに被災地を訪ね、被災された方たちに会い、その語りに耳を傾けてきた。それぞれの聞き書きの旅は始まったばかりだ。東北の復興と再生の日々に寄り添いながら、その旅はきっと5年、10年、20年とそれぞれに継続されていくことになるだろう。
■それはいずれ、東日本大震災にまつわる巨大な記憶のアーカイヴの一部を成していくはずだが、いまはまだ、その最終的なかたちを思い描くことはむずかしい。やがて、被災された方たち自身が、みずからその体験と記憶を書き留める仕事にとりかかるにちがいない、そう、わたしは想像している。それは確実に、記憶のアーカイヴのたいせつな核となることだろう。
土方正志(本書「あとがき」より)
本書に特色があるとすれば、語り手だけでなく、聞き手もまた被災者であるということだろうか。自らも家族や親族を失い、生活を破壊された聞き手が、同じ境遇の語り手に対峙している。語り手がやがて聞き手となっている例もある。これは、思えば当然のことではある。聞き手も語り手も、等しく東北に縁ある者たちばかりである。震災前から知り合っていた聞き手と語り手がいる。直接の知り合いではなくとも、同じ町に暮らしていたり、共通の知人がいたりと関係性はさまざまだが、震災を契機に「取材」を目的としてのみ向かい合ったわけではないケースが大半となった。地域の悲劇を地域が記録するとはこういうことなのかもしれない。
そして、語り手もまたさまざまである。私たちは本書を「被災者の聞き書き集」にするつもりは毛頭なかった。本書に登場するのは、直接的に被害を受けた人たちばかりではない。被害があってもなくてもいい。テーマはただ「被災地を生きるとはどういうことなのか」だった。それこそがこの災害列島に生きる私たちが日々の生活の基盤として持つべき「情念」なのではないか。そう思ったからである。
■ここに収められた100人の聞き書きは、ささやかなはじまりの石碑である。わたしたちはそれぞれに被災地を訪ね、被災された方たちに会い、その語りに耳を傾けてきた。それぞれの聞き書きの旅は始まったばかりだ。東北の復興と再生の日々に寄り添いながら、その旅はきっと5年、10年、20年とそれぞれに継続されていくことになるだろう。
■それはいずれ、東日本大震災にまつわる巨大な記憶のアーカイヴの一部を成していくはずだが、いまはまだ、その最終的なかたちを思い描くことはむずかしい。やがて、被災された方たち自身が、みずからその体験と記憶を書き留める仕事にとりかかるにちがいない、そう、わたしは想像している。それは確実に、記憶のアーカイヴのたいせつな核となることだろう。
土方正志(本書「あとがき」より)
本書に特色があるとすれば、語り手だけでなく、聞き手もまた被災者であるということだろうか。自らも家族や親族を失い、生活を破壊された聞き手が、同じ境遇の語り手に対峙している。語り手がやがて聞き手となっている例もある。これは、思えば当然のことではある。聞き手も語り手も、等しく東北に縁ある者たちばかりである。震災前から知り合っていた聞き手と語り手がいる。直接の知り合いではなくとも、同じ町に暮らしていたり、共通の知人がいたりと関係性はさまざまだが、震災を契機に「取材」を目的としてのみ向かい合ったわけではないケースが大半となった。地域の悲劇を地域が記録するとはこういうことなのかもしれない。
そして、語り手もまたさまざまである。私たちは本書を「被災者の聞き書き集」にするつもりは毛頭なかった。本書に登場するのは、直接的に被害を受けた人たちばかりではない。被害があってもなくてもいい。テーマはただ「被災地を生きるとはどういうことなのか」だった。それこそがこの災害列島に生きる私たちが日々の生活の基盤として持つべき「情念」なのではないか。そう思ったからである。