- 後藤新平研究会 編
- A5並製 288頁
ISBN-13: 9784865780369
刊行日: 2015/7
後藤新平が遺した珠玉の名言
百年先を見通し近代日本のあるべき道を指し示した先覚者
後藤新平の卓越した仕事は、「人」に尽きると言っても過言ではない。優れた人物を生かすことに長け、次世代の活躍にも貢献した後藤の、経験に裏打ちされた名言と、関連人物100人とのエピソード。
目次
はじめに 後藤新平の会代表幹事 青山佾
第Ⅰ部 後藤新平の名言・名句
われ万物の中にあり、万物われの中に存す
できないのではなく、やらないからだ
本当にむずかしいのは退き時だ
「ひらめの目と鯛の目」
「御親兵一割の損」
一に人 二に人 三に人
自治三訣
日本の日本、世界の日本、日本の世界 ほか
第Ⅱ部 「後藤新平山脈」100人
高野長英/勝 海舟/福沢諭吉/安場保和/井上 馨/板垣退助/大倉喜八郎/山県有朋/長与専斎/安田善次郎/渋沢栄一/土肥樵石/伊藤博文/阿川光裕/石黒忠悳/後藤勝造/桂 太郎/浅野総一郎/益田 孝/近藤廉平/児玉源太郎/山本権兵衛/北里柴三郎/ココフツォフ/下田歌子/星野 錫/田 健治郎/下村当吉/原 敬/バルトン/伊東巳代治/横井時雄/高木友枝/斎藤 實/尾崎行雄/新渡戸稲造/ゾルフ/岩原謙三/阪谷芳郎/徳富蘇峰/杉山茂丸/金杉英五郎/白鳥庫吉/沢柳政太郎/モット/長尾半平/小泉盗泉/後藤和子/辜顕栄/金子直吉/本多静六/仲小路 廉/内藤湖南/孫文/内田嘉吉/飯野吉三郎/中村是公/水野錬太郎/ニコライ二世/藤原銀次郎/山崎亀吉/山本悌二郎/島安次郎/岡松参太郎/松木幹一郎/星 一/ビーアド/森 孝三/岸 一太/下村 宏/二反長音蔵/永田秀次郎/大谷光瑞/伊藤長七/スターリン/山田博愛/佐野利器/太田圓三/池田 宏/岩永裕吉/ヨッフェ/十河信二/前田多門/鶴見祐輔/大杉 栄/正力松太郎/大川周明/田辺定義/カラハン/堤康次郎/亀井貫一郎/河﨑きみ/三島通陽/椎名悦三郎/宮本百合子/昭和天皇/佐野 碩/橘 善守/竹内 好/鶴見和子
後藤新平 略年譜(1857-1929)
関連情報
真珠を得ようとせば、自らその深淵にその躯を投ぜよ。
法律ばかりで世を治めようとするものは、水を以て人を酔わせんとする徒だ。
世の中に怖ろしい人がある。それは怖ろしいという事を知らぬ人だ。
卑しい人がある。それは自らを卑しとする人だ。
(本書より)
著者情報
●後藤新平(ごとう・しんぺい/1857-1929)
水沢藩(現・岩手県奥州市)の医家に生まれる。藩校で学ぶうち,赴任してきた名知事・安場保和に見出される。福島の須賀川医学校で医学を学び,76年,愛知県病院に赴任。80年には弱冠23歳で同病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局技師,ドイツ留学後同局長。相馬事件に連座したため衛生局を辞すも,陸軍検疫部にて日清戦争帰還兵の検疫に驚異的手腕を発揮し,衛生局長に復す。
1898年,総督児玉源太郎のもと台湾民政局長(後に民政長官)に抜擢され,足かけ9年にわたり台湾近代化に努める。1906年,児玉の遺志を継いで満鉄初代総裁に就任,2年に満たない在任中に,満洲経営の基礎を築く。
1908年より第二次・第三次桂太郎内閣の逓相。鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。16年,寺内正毅内閣の内相,ついで外相としてシベリア出兵を主張。1920年,東京市長となり腐敗した市政の刷新を唱導。また都市計画の発想に立ち,首都東京の青写真を描く(東京改造8億円計画)。在任中の23年にはソ連極東代表のヨッフェを私的に招聘し,日ソ国交回復に尽力する。1923年の関東大震災直後,第二次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり,大規模な復興計画を立案。
政界引退後も,東京放送局(現NHK)初代総裁,少年団(ボーイスカウト)総長を歴任,普通選挙制度の導入を受けて,在野の立場から「政治の倫理化」を訴え,全国を遊説した。また最晩年には,二度の脳溢血発作をおして厳寒のソ連を訪問,日ソ友好のためスターリンと会談した。
1929年,遊説に向かう途上の汽車のなかで三度目の発作に倒れる。京都で死去。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです