- A・コルバン+J-J・クルティーヌ+G・ヴィガレロ=監修 ジャン=ジャック・クルティーヌ=編
- 岑村 傑=監訳
- A5上製 752ページ
ISBN-13: 9784865781311
刊行日: 2017/08
男らしさは死滅していない! シリーズ完結!
男らしさ(ヴィリリテ)の歴史は男性(マスキュリニテ)の歴史ではない。欧米の第一線の歴史家が、さまざまな角度から、この100年余の「男らしさ」を究明した問題作。
目次
日本の読者へ アラン・コルバン(小倉孝誠訳)
序文 アラン・コルバン/ジャン=ジャック・クルティーヌ/ジョルジュ・ヴィガレロ(小倉孝誠訳)
第Ⅲ巻序文 かなわぬ男らしさ ジャン=ジャック・クルティーヌ(岑村 傑訳)
第Ⅰ部 男性支配の起源、変容、瓦解
第1章 男らしさの人類学――無力にたいする恐怖 クロディーヌ・アロッシュ(谷口博史訳)
Ⅰ 陰湿な男性支配
Ⅱ 兄弟愛の融合的な男らしさ――始原的な絆を復活させること
Ⅲ 権威主義的家族と男らしい力の修養
Ⅳ 無力にかんする精神分析的人類学
第2章 医学と向かいあう男らしさ アンヌ・キャロル(谷口博史訳)
Ⅰ 男性性、男らしさ、性的能力――遺伝と医学知識の刷新
Ⅱ 性科学が問う男らしさ
Ⅲ 男らしさの回復
第3章 不安な男らしさ、暴力的な男らしさ ファブリス・ヴィルジリ(三浦直希訳)
Ⅰ 暴力と男性としてのアイデンティティ
Ⅱ 男らしい秩序と暴力の可能性
Ⅲ 男らしさの混乱がもたらす暴力に対する断罪
Ⅳ 女性による防衛と反撃
第4章 女性の鏡にうつる男らしさ クリスティーヌ・バール(鈴木彩土子訳)
Ⅰ 男らしさ――欲望の対象
Ⅱ 拒絶された男らしさ
Ⅲ 〈女性たち〉によって魅了された男らしさ
第5章 英語圏の男性性と男らしさ クリストファー・E・フォース(高橋博美訳)
第Ⅱ部 男らしさの製造所
第1章 ひとは男らしく生まれるのではない、男らしくなるのだ アルノー・ボーベロー(三浦直希訳)
Ⅰ 伝統的な男らしさの最後のきらめき
Ⅱ ぐらついたモデル
第2章 描かれた男らしさと青少年文学 パスカル・オリー(西野絢子訳)
第3章 軍隊と戦争――男らしさの規範にはしる裂け目? ステファヌ・オードワン=ルゾー(小黒昌文訳)
第4章 スポーツの男らしさ ジョルジュ・ヴィガレロ(小黒昌文訳)
Ⅰ 明白な男らしさ、注釈つきの男らしさ
Ⅱ 過剰な男らしさ、覆された男らしさ
Ⅲ 確固たる男らしさから混乱した男らしさへ
第5章 犯罪者の男らしさ? ドミニク・カリファ(岑村 傑訳)
Ⅰ 犯罪者としての男の肖像
Ⅱ 視線の工場
第Ⅲ部 模範、モデル、反モデル
第1章 ファシズムの男らしさ ジョアン・シャプト(市川 崇訳)
Ⅰ 排除する
Ⅱ 蘇らせる
Ⅲ 闘 う
Ⅳ 身体を鍛え直し、男たちの共同体を新たに築く
Ⅴ 創造する
第2章 労働者の男らしさ ティエリー・ピヨン(市川 崇訳)
Ⅰ 表 象
Ⅱ 労働者の価値観
Ⅲ 男らしさという価値の枯渇
第3章 冒険家の男らしさの曖昧さ シルヴァン・ヴネール(山口俊洋訳)
Ⅰ 新たなモデル――冒険家
Ⅱ 現代の男らしさ?
Ⅲ 旧モデルの存続
第4章 同性愛の変遷 フロランス・タマーニュ(岡 健司訳)
第5章 植民地および植民地以降の男らしさ クリステル・タロー(芦川智一訳)
第Ⅳ部 イマージュ、ミラージュ、ファンタスム
第1章 露出――裸にされた男らしさ ブルーノ・ナシム・アブドラル(下澤和義訳)
Ⅰ 裸体画
Ⅱ 外観的な特徴
Ⅲ ファロスとペニス
第2章 映写――スクリーンにおける男らしさ アントワーヌ・ド・ベック(下澤和義訳)
Ⅰ 初期映画における男らしさの誇示
Ⅱ 遠国における男らしさ
Ⅲ 西部人――築きあげ、壊された男らしさ
Ⅳ 反逆的な美――歴史と対峙する男らしさ
Ⅴ まだ勃起している、とはいえ悲しげに……
第3章 文明のなかの巨漢――男らしさの神話と筋肉の力 ジャン=ジャック・クルティーヌ(岑村 傑訳)
Ⅰ ペニスの黄昏?
Ⅱ 模造の文化
Ⅲ 教養小説、父性の探究
Ⅳ 人工器官と増進
Ⅴ 男らしさの強迫、不能の妄
想
Ⅵ 系譜――最初に筋肉があった
Ⅶ 男らしさの亡霊――分裂、化身
原注
監訳者解説(岑村 傑)
関連情報
男らしさは誕生し、栄華をきわめ、そしてその後ははたして必衰の道をたどるのだが、しかしながら、それは衰えても、絶えて滅びはしない。第Ⅲ巻の副題は「男らしさの死」でも「最期」でもなく、「男らしさの危機?」であり、しかもそれは疑問符つきの「危機」である。
元来の男らしさが、力強さ、徳の高さ、自信、成熟、支配力、精力のすべてを兼ね備えた完成を指すとするならば、そのように男らしい男など、とりわけ現代においては、おそらくどこにもいまい。
本巻で確認されるのはたしかに、現代において傷つき、窮し、悶える男らしさにほかならない。だが同時にそこに浮かび上がってくるのは、それでも男らしさが、悪あがきでは済まないほどにしぶとく、命脈をつないでいるさまではないだろうか。
(監訳者解説より)
本全三巻を通じての目的は、歴史の消失の歴史をたどることである。だからこそ、そこで焦点になるのは男らしさであって、男性ではない。そう、もし、太古に起源をもちながら現在まで存続している不平等構造、歴史の自然への変換があってはじめて長期にわたる継承が可能になるような、その構造の歴史を編もうというのなら、そのような企図の対象を適切に表す言葉は、フランス語にはひとつしかないといってよい。ほかならぬ、「男らしさ」という言葉である。
男性の歴史はことにそれが生まれたアングロ=サクソン系の歴史叙述においては主流となっているが、そのように男性の歴史への参照が登場したのは、この第Ⅲ巻が確証するように、女の歴史という企図の結果、補完、延長としてでしかなかった。
男らしさの歴史は 男 性 の歴史と一体のものではない。十九、二十世紀前半の男たちは、「男性」たれ、ではなく、「男らしく」あれと、当時の言い方によれば「本物の」男たれと、焚きつけられている……。そこに「男性」がやってきて「男らしさ」にとって代わったことは、男の帝国においてまちがいなく何かが変化したことの表徴にほかなるまい。
いまという時代、男らしさには逆説がつきまとう。力と権威と制御に基づく表象が、脆く、不安定で、疑わしいものに見えるようになってしまっていることを、どのように理解すべきなのだろうか。その疑問に答えるにあたって本巻は、まずはそのような評価を歴史的事実からなる現実に照らして検証するように努める。
二十世紀という舞台の上で、ジョージ・L・モッセが戦争による諸社会の「野蛮化」と呼んだ事態を背景にして、男らしさは燦然と輝きを放ちもした――さまざまな全体主義がその絶頂となった――のだということを、忘れてはなるまい。そして、件の逆説が、一方の「アルカイックな支配モデル」と、他方の、平等と分担にしかるべき場所を用意することになる性的アイデンティティの再定義を世紀を通じて男のためにも女のためにも求めてきた政治的、社会的、文化的変革すべてとの、相克の結果なのだということも。
われわれが生きている現在、男性支配の伝統的諸形態と、それらに付きものの常態化した数々の暴力は、消滅してはいないにしても、かつてほど容易には人々の見て見ぬふりの沈黙や無関心による荷担を当てにはできないのである。
(「第Ⅲ巻序文」より)
■監修者
●アラン・コルバン(Alain Corbin)
1936年フランス・オルヌ県生。カーン大学卒業後、歴史の教授資格取得(1959年)。リモージュのリセで教えた後、トゥールのフランソワ・ラブレー大学教授として現代史を担当(1972-1986)。1987年よりパリ第1(パンテオン=ソルボンヌ)大学教授として、モーリス・アギュロンの跡を継いで19世紀史の講座を担当。著書に『娼婦』『においの歴史』『浜辺の誕生』『時間・欲望・恐怖』『人喰いの村』『感性の歴史』(フェーヴル、デュビイ共著)『音の風景』『記録を残さなかった男の歴史』『感性の歴史家 アラン・コルバン』『風景と人間』『空と海』『快楽の歴史』(いずれも藤原書店刊)。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち第2巻『Ⅱ――19世紀 フランス革命から第1次世界大戦まで』を編集(藤原書店刊)。本叢書『男らしさの歴史』(全3巻)のうち第2巻『男らしさの勝利――19世紀』(2011年)を編集。
●ジャン=ジャック・クルティーヌ(Jean-Jacques Courtine)
1946年アルジェ(アルジェリア)生。15年間アメリカ合衆国で、とりわけカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校で教える。現在、パリ第3大学(新ソルボンヌ)文化人類学教授。言語学・スピーチ分析、身体の歴史人類学。著書に『政治スピーチの分析』(ラルッス社、1981年)『表情の歴史――16世紀から19世紀初頭まで、おのれの感情を表出し隠蔽すること』(クロディーヌ・クロッシュと共著、パイヨ/リヴァージュ社、1988年初版、1994年再販)。現在は奇形人間の見せ物について研究し、エルネスト・マルタンの『奇形の歴史』[1880年]を復刊(J・ミロン社、2002年)、また以下の著作を準備中。『奇形の黄昏――16世紀から20世紀までの学者、見物人、野次馬』(スイユ社より刊行予定)。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち『Ⅲ――20世紀 まなざしの変容』を編集(藤原書店刊)。本叢書『男らしさの歴史』(全3巻)のうち第3巻『男らしさの危機?――20-21世紀』(2011年)を編集。
●ジョルジュ・ヴィガレロ(Georges Vigarello)
1941年モナコ生。パリ第5大学教授、社会科学高等研究院局長、フランス大学研究所所員。身体表象にかんする著作があるが、とりわけ『矯正された身体』(スイユ社、1978年)『清潔(きれい)になる「私」――身体管理の文化史』(スイユ社、1985年、〈ポワン歴史叢書〉1987年、邦訳、同文館出版、1994年)『健全と不健全――中世以前の健康と改善』(スイユ社、1993年、〈ポワン歴史叢書〉1999年)『強姦の歴史』(スイユ社、1998年、〈ポワン歴史叢書〉2000年、邦訳、作品社、1999年)『スポーツ熱』(テクスチュエル社、2000年)『古代競技からスポーツ・ショウまで』(スイユ社、2002年)『美人の歴史』(スイユ社、2004年、〈ポワン歴史叢書〉、2007年、邦訳、藤原書店、2012年)『太目の変容。肥満の歴史』(スイユ社、2010年)叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち『Ⅰ――16-18世紀 ルネサンスから啓蒙時代まで』を編集(藤原書店刊)。本叢書『男らしさの歴史』(全3巻)のうち第1巻『男らしさの創出――古代から啓蒙時代まで』(2011年)を編集。
■監訳者
●鷲見洋一(すみ・よういち)
1941年東京生。1974年慶應義塾大学文学研究科博士課程単位修得満期退学。モンペリエ大学文学博士。慶應義塾大学教授、中部大学教授を歴任し、現在は慶應義塾大学名誉教授。専門領域は、18世紀フランス文学・思想・歴史、とりわけ『百科全書』研究。著書にLe Neveu de Rameau: caprices et logiques du jeu, Librairie France Tosho, 1975、『翻訳仏文法』上・下、新装改版、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2003年、『「百科全書」と世界図絵』(岩波書店)、2009年など。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち『Ⅰ――16-18世紀 ルネサンスから啓蒙時代まで』を監訳(藤原書店刊)。
●小倉孝誠(おぐら・こうせい)
1956年青森生。1987年、パリ第4大学文学博士。1988年、東京大学大学院博士課程中退。慶應義塾大学教授。専門は近代フランスの文学と文化史。著書に『身体の文化史』(中央公論新社)、『犯罪者の自伝を読む』(平凡社)、『愛の情景』(中央公論新社)、『革命と反動の図像学』(白水社)など。また訳書にコルバン『音の風景』(藤原書店)、フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫)などがある。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち『Ⅱ――19世紀 フランス革命から第一次世界大戦まで』を監訳(藤原書店刊)
●岑村 傑(みねむら・すぐる)
1967年長野県生。1999年東京都立大学人文科学研究科博士課程単位取得退学(パリ第4大学文学博士)。慶應義塾大学文学部准教授。19世紀後半から20世紀前半のフランス文学。著書に『フランス現代作家と絵画』(共編著、水声社)。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち『Ⅲ――20世紀 まなざしの変容』を監訳(藤原書店刊)