- 合田一道 著
- 四六上製 304頁
ISBN-13: 9784865783063
刊行日: 2021/3
かつて、“アイヌの新聞”を自ら作ったアイヌ青年がいた。
警察官を志しながら、アイヌゆえにその道を閉ざされて新聞記者に転じ、戦後1946年、ついに自ら『アイヌ新聞』を創刊。アイヌ問題研究所を主宰し、わが民族の歴史と課題を痛切に訴える数々の評論を発表し続けた反骨のジャーナリスト、初の評伝!
目次
はじめに
第1章 幼い日々の面影と世相――1920-36
第2章 波乱の“アイヌ新聞記者”――1937-45
第3章 燃えさかる『アイヌ新聞』――1946
第4章 新聞記者の成果と誤算――1946-60
第5章 「天皇とアイヌ」の真意――1961-62
第6章 見果てぬ夢を抱いて――1962-76
あとがき
高橋真 年譜(1920-1976)
取材協力者及び参考文献
人名索引
〈附〉高橋真の仕事
高橋真 著作一覧/『アイヌ新聞』社説集/アイヌの文学博士 知里真志保小伝/アイヌ研究家の功罪
カバーソデ紹介
かつて『アイヌ新聞』という名の新聞を作っていたアイヌ青年がいた。名前は高橋真。わが民族の立場に立ち、自ら発行する新聞で、差別や偏見を訴え続けた。なぜ、この人物を書くのか。アイヌ施策振興法ができ、北海道白老町に民族共生象徴空間(愛称「ウポポイ」)が誕生して、やっとアイヌ民族の存在に衆目が集まりだしてきたいま、自らの手で新聞を作って社会に訴えたアイヌ記者がいた事実を明らかにしたいと思ったからである。
「北海道旧土人保護法」が98年間も経過した1997年にようやく廃止され、替わって「アイヌ文化振興法」が生まれ、その22年後の2019年4月19日、初めてアイヌ民族を先住民族と定めた「アイヌ施策振興法」が誕生した。
高橋真は、この新法を知ることもなく、1976年7月、死去した。享年56。この著書はアイヌ民族で初めての新聞記者が、自己の信念を貫き通した魂の記録である。
(本書「はじめに」より)
高橋真(たかはし・まこと)とは――
1920(大正9)年、北海道・幕別に生まれる。警察官を志して帯広警察署の給仕となるが、アイヌは警察官になれないと知り、新聞記者を目指す。
1937年、十勝新聞社に給仕として採用され、39年、念願の新聞記者となる。『十勝新聞』廃刊後は『十勝農民新聞』で記者を続ける。途中、1942年には徴用されて中島飛行機に1年ほど勤務。
1945年8月敗戦。同年暮れに、アイヌ問題解決の請願書をGHQに提出する。1946年3月、自らアイヌ問題研究所を設立し、『アイヌ新聞』を発刊。第5号まで発行するも一旦廃刊。改めてアイヌ新聞社を設立して復刊し、第6号から14号まで発行、47年5月に終刊した。
『十勝農民新聞』『東北海道新聞』『北海タイムス』で記者を務めるが、1960年、40歳で記者を辞め、釧路にアイヌ問題研究所を再発足させる。以後、同研究所の紀要を主な発表の場として、「知里真志保小伝」「天皇とアイヌ」などアイヌ問題に関わる様々な論考を執筆した。1976(昭和51)年死去。
【著者紹介】
●合田一道(ごうだ・いちどう)
1934年北海道生まれ。ノンフィクション作家。長く北海道新聞社に勤務し編集委員などを歴任し、1994年退社。その間、幕末から維新にかけての数々のノンフィクション作品を執筆し今日に至る。
著書に『大君(タイクン)の刀』(北海道新聞社)『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)『日本史の現場検証』(扶桑社)『日本人の死に際 幕末維新編』(小学館)『日本人の遺書』『古文書にみる榎本武揚』『評伝 関寛斎 1830-1912――極寒の地に一身を捧げた老医』(ともに藤原書店)等。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです