- アラン・バディウ 著
- フランソワ・ヴァール 序
藤本一勇 訳
- 四六上製 624頁
ISBN-13: 9784865783315
刊行日: 2021/12
バディウ哲学への導入にして、その全体像。
主著『存在と出来事』で独自の哲学体系を樹立したバディウが、哲学の「条件」として提示したものは何か。
「科学」「芸術」「政治」「倫理」の四条件に加え、ラカンを通じて「精神分析」を視野に収め、以後展開される仕事のエッセンスを明示した講演等から構成。
バディウ哲学への導入にして、その全体像を捉えるための最適の書、待望の完訳。
目次
序 抜け去るもの(フランソワ・ヴァール)
1 哲学自身
哲学自身の(再)転回
哲学の定義
哲学の制度とは何か――差し出し、伝達、書き込み
2 哲学と詩
詩への哲学的依拠
マラルメの方法――抜け去りと隔絶
ランボーの方法――中断
3 哲学と数学
哲学と数学
抜け去りについての講演
真理――強制と名づけえぬもの
4 哲学と政治
哲学と政治
5 哲学と愛
愛とは何か
6 哲学と精神分析
哲学と精神分析
主体と無限
反哲学――ラカンとプラトン
7 ジェネリックなもののエクリチュール
ジェネリックなもののエクリチュール――サミュエル・ベケット
訳者あとがき――翻訳のスピンオフ(藤本一勇)
関連情報
アラン・バディウが『存在と出来事』以後におこなった講演や討議会での発言をここに集めることにわれわれが決めたとき(それらのどのテクストもが重要な前進を示しており、その個々のテクストのためにもばらばらのままにしておくことはできない)、私が序文を書いてそこに忍び込むという計画が立てられた。その序文がこんなにも長くなってしまったことは率直にお詫びすべきだろう。しかし見せかけだけの光を与える入祭唱ほど無用なものはない。なぜなら本当に理解できるようになるのは、本を読み終わってから、本の作業が終わってからだからだ。さらに言えば、哲学は概念の「標本採集」を許さないし、許すべきではない。概念が現れるテクストの、その動き、その分節、その演繹――そうしたものの流れや織り目を見つけ出し引き受けるべきであって、さもなくば哲学カフェのおしゃべりでしかなくなる。
要するに、本書の格別の困難は、集められた発言の数々が――一見読みやすいように見えるけれども――『存在と出来事』の語彙(つまり装置)に依拠していることに起因しているのである。したがって、ここで背景をなしている体系と名づけるべきものを思い出さなければ、これらのテクストのどんな読解も不完全なものにすぎないだろう。
(フランソワ・ヴァール「序」より)
著者紹介
●アラン・バディウ(Alain Badiou)
1937年モロッコ・ラバト生まれ。フーコー、ドゥルーズ、デリダなき後の、フランス最大の哲学者。高等師範学校(ユルム校)に学ぶ。パリ第八大学哲学科教授、高等師範学校哲学科教授を経て、現在、高等師範学校名誉教授。詩、数学に造詣が深く、また小説、戯曲、映画評論をも手掛ける。
著書に、主著『存在と出来事』をはじめとして『哲学宣言』『世紀』(藤原書店)『世界の論理』(藤原書店近刊)、『ドゥルーズ――存在の喧騒』『倫理――悪の意識に関する試論』(河出書房新社)、『推移的存在論』(水声社)、『ラカン』(法政大学出版局)など多数。
【訳者】
●藤本一勇(ふじもと・かずいさ)
1966年生まれ。パリ社会科学高等研究院深化学位(DEA)「歴史と文明」取得。
早稲田大学文学研究科博士課程単位取得満期退学。早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系教授。専攻、哲学。
著書に、『批判感覚の再生――ポストモダン保守の呪縛に抗して』(白澤社、発売・現代書館)、『情報のマテリアリズム』(NTT出版)、訳書に、デリダ『アデュー――エマニュエル・レヴィナスへ』(岩波書店)、デリダ『哲学の余白』(法政大学出版局)、デリダ『プシュケー』(岩波書店)、ブルデュー『政治』(共訳、藤原書店)、ラクー=ラバルト『歴史の詩学』(藤原書店)、バディウ『存在と出来事』(藤原書店)などがある。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです