- 津川廣行 著
- 四六上製 368頁
ISBN-13: 9784865783995
刊行日: 2023/9
「人間にとって月とは何か」
月という物体は、古来より多くの人が詩や文学で語り、科学者は物理現象として究明してきた。
本書は、文学者としての著者が、物理と文学を融合して、「人間にとって月とは何か」を描いた渾身の労作である。
目次
はじめに
第一章 動く月
一 月は動いているか
止まっている月/高濱虚子の月/月の港をよぎる旅/虚子は松山に寄港したか?/定点としての月/動いている月/月の、見える動き・見えない動き
二 月の光は目に見えるか
横切る光は目に見えない/川端茅舎の月/月に照らされている二重の目/月下での擬似的な移動
三 月はどうして遠くを思わせるのか
月の友――松尾芭蕉、白居易、樋口一葉/月の光の均一性/平地の人、小林秀雄/山岳地帯の月/與謝野晶子の月/井伏鱒二の月/月という鏡の作用/渡辺一夫の月/月の光の平行性と四散性
四 月は遠いか近いか
神話、民話/視覚的効果/小林一茶の月、山崎宗鑑の月/月が「かかる」/チンダル現象が月を引き寄せる/仰角と距離/中空というメルクマール/「仰角かつ距離」かあるいは「仰角か距離か」/鯉のぼりはどこを泳ぐか/空の垂直的秩序/月は、遠くなければならない、近くなければならない
第二章 月光の装い
一 月下の眺めは鮮やかか
暗いのに鮮やか/コントラスト/半影とは/月の半影、太陽の半影/月も半影をつくるが、ただし……/月下の眺めはなぜ鮮やかか/和辻哲郎の月
二 月光で個は識別できるか
雁のシルエット/人影――飯田蛇笏の月/弁別特徴の見えにくさ/月下の集団/死という擬似的個性/蟻と月――非識別世界の使者/薄暮のなかの生者/横光利一の月/蟻の感覚/質感の変化
三 正午に月は見えるか
スーポーの、真昼の月/真昼に月を見せる/正午とは/上弦のパターン、下弦のパターン/その他の条件/実地の観察/春には上弦のパターンが、秋には下弦のパターンが有利である/第3のパターン/フランスの「正午」は奇妙である/中部欧州標準時/正午の月はフランスでも見られる/高緯度のパリでも正午の月が見られるのはどうしてか/「ボンソワール」を読んでみよう/昼の月、そして朝/スーポーはどこかで昼の月を見た/有限な永遠感
四 月の矢は太陽を射るか
月の矢とは/矢は太陽からそれる/地の底の太陽はどこにあるか/月の矢の、遠い遠い記憶/山村暮鳥の月/謎解き/わかりやすい例/ヒントは「平行光線」/津川氏、宇宙旅行へ/関与する平面だけを見よ!/情報カードに太陽と月を取りこもう/一般化へ向けて/使用した2つの線から残る1つの線を推測する その1/使用した2つの線から残る1つの線を推測する その2――情報カードに時計を描いてみよう/例題1/例題2/大きな錯覚、小さな錯覚/地球中心説/あなたにも地球中心主義者の素質があるか?
五 着衣の月
大気という衣/剝き出しの月vs 昔ながらの月/吉田健一の月/月光という効果/人間化された月/月の未来
第三章 芭蕉の月、蕪村の月
一 芭蕉が明石・須磨で見たのはどのような月であったか/第一印象/蛸壺への旅/つぶれた低い月/月は18.6年周期で高くなったり低くなったりする/1690年――18.6年周期のピーク/明石か須磨か/月を楽しむ余裕はなかった/タイミングが悪かった/さえない月の弥縫/芭蕉の屈折/太陽の変化は遅く、月の満ち欠けは速い/夏の月は皓々としていたか/「月」は「夢」の縁語であった
二 芭蕉は「方向」音痴であったか
夜明けの方角が変である/ほととぎすの住処/須磨の夜明けの光景はなかば作文/その日の須磨の夜明け/月が芭蕉の方向感覚を狂わせた
三 御油・赤坂の句の「作者」はどこにいたか
地名の色彩感/この句には作者の居場所がない?/赤坂に沈む月は御油からは見られない/芭蕉が見たかもしれない月/御油と赤坂は、対称的か非対称的か/地名+や
四 蕪村の「月は東に」の月はどのような月か
髙橋治の空想説/苧阪良二の観察説/望と日没のタイミング/大気による浮き上がり効果/中村草田男が想定する高い月/月と太陽の聖なる結婚/高い位置の東の月はありうる/満月の日には蕪村的風景が見られないこともある/4月の満月/蕪村的風景が見られるチャンスは年に数回ある/菊の香や月は東に日は西に、では句は成功しなかった/色彩の対照/レーリー散乱/白と黄/句の成立状況/京都の盆地という条件/満月の前日、前々日/月は東にが名句である理由
第四章 低い月、高い月
一 低い月、高い月
月には二様の低さがある/低しと短し――短夜/月の可視時間/夏の月は無条件で低いわけではない/高い月とは/横光利一の月(再検討)/石川啄木の月
二 月天心とは
中村草田男の解釈/2つのヴァリアント/天心とはどこか/蕪村が見たはずの名月/名月をつり上げた評者達――橋治、萩原朔太郎、大谷晃一/天心の月だけが静止している/月が「天心」ほどに高くなかったとすれば
三 年間をつうじて月の高度はどのように推移するか
ウォーミングアップ(復習)/夏至と冬至での太陽と月/月相/望と朔/月齢/十五夜=満月とはかぎらない/地球目線と宇宙目線/月は1年間に地球を13と3分の1周する/恒星月と朔望月/コーヒーブレイク1/コーヒーブレイク2/月にも「きせつ」がある?/年間をつうじて月の高度はどのように推移するか/朔望月と恒星月のちがいを無視してみよう/月の山、月の谷は相のなかを移動する/奇妙な時計/太陽をいったん止めてしまおう/今度は太陽を動かしてみよう/隣接するサイクルへの適用/山と谷、そして中腹、上り坂と下り坂/1年後に月はどうなるか(尾崎紅葉の誤り)/特殊時計の針の見方/例題1/例題2/春・夏・秋・冬における上弦・下弦・満月・朔月/とりわけ秋に月が愛でられる理由/三日月は春分のころ水平になり秋分のころ立つ
四 月はどこから昇りどこに沈むか
月の定点観測をした永井荷風/月の出入りの方向の考え方/18.6年周期による月の出入り幅の変化/高緯度での月の出入り/月の出の方向についての思い違い/三笠山の月の出/薄田泣菫の夕月
おわりに
付録(Ⅰ) 蕪村(1716~84年)の生涯における中秋の名月
――〈月天心とは〉との関連で――
付録(Ⅱ) 月の高度の18.6年周期
――〈芭蕉が明石・須磨で見たのはどのような月であったか〉との関連で――
関連情報
第一章「動く月」は、月の動きの効果、月の遠近感という観点からの文学評論である。第二章「月光の装い」は、月の光の効果という観点からの評論である。第一章は読者の感性を頼みに進められるが、第二章からは、さらに、月の観察、考察、そしてパソコンソフトによるシミュレートがはいりこんでくる。第三章「芭蕉の月、蕪村の月」は月論的立場からの、俳諧の二巨匠の句についての評論である。第四章「低い月、高い月」の前半は、月のコースの高い、低いについての考察と評論である。章の後半では、月の高低をも含めて、第一章、第二章、第三章で説明しきれなかった月の動きについて、まとめて詳説してある。(「はじめに」より)
著者紹介
●津川廣行(つがわ・ひろゆき)
1951年 青森市に生れる
1974年3月 東北大学理学部卒業(物理学)
1982年3月 関西大学大学院文学研究科博士課程修了(フランス文学)
1991年4月~2017年3月 大阪市立大学講師、助教授、教授(フランス語・フランス文学)
2017年4月 大阪市立大学名誉教授
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです