- 持田明子・大野一道 編
- ミシェル・ペロー/持田明子/大野一道/宮川明子
- 四六変上製 384頁
ISBN-13: 9784865784091
刊行日: 2023/12
19世紀「知の世界(サロン)」の核、サンドの全体像!
新しいジョルジュ・サンド観!
いよいよ完結!
◎J-J・ルソーと友人だった祖父をもつサンドは、幼い頃からルソーを愛読。自然への愛、平等と博愛という“理想”をもつことを受け継いだ。
◎プルーストの文学の始まりは、サンド『捨て子のフランソワ』だった。
◎ドストエフスキーはサンドの熱烈な読者だった。
「あれだけ清らかな、無垢のゆえに力強い理想を、抱懐するものはない」。
目次
〈プロローグ〉今、なぜジョルジュ・サンドか(大野一道)
本書関連地図
第1部 現代によみがえるサンド――社会と文明を見るまなざし
1 自由への道――サンドとその時代 (ミシェル・ペロー/持田明子訳)
2 〈ルソーの精神的娘〉として (ジョルジュ・サンド)
3 自然へのまなざし――エコロジストの先駆、ジョルジュ・サンド (持田明子)
4 一八四八年革命とパリ・コミューン (ジョルジュ・サンド)
第2部 主要作品紹介 (持田明子・大野一道・宮川明子)
『アンディアナ』/『ヴァランティーヌ』/『レリア』/『ジャック』/『アンドレ』/『シモン』/『ある旅人の手紙』/『モープラ』/『モザイク画師たち』/『スピリディオン』/『竪琴の七弦』/『フランス遍歴の職人』/『オラース』/『マヨルカの冬』/『コンシュエロ』/『ルードルシュタット伯爵夫人』/『ジャンヌ』/『アンジボーの粉挽き』/『アントワーヌ氏の罪』/『テヴェリーノ』/『魔の沼』/『ルクレティア・フロリアーニ』/『ル・ピッチニーノ』/『捨て子のフランソワ』/『少女ファデット(愛の妖精)』/『ほんもののグリブイユの物語』/『クローディ』(戯曲)/『デゼルトの城』/『笛師の群れ』/『わが生涯の物語』/『黄金の森の美男たち』/『雪の男』/『田園伝説集』/『彼女と彼』/『ジャン・ド・ラ・ロシュ』/『黒い町』/『ラ・カンティニ嬢』/『ヴィルメール侯爵』(戯曲)/『ローラあるいは結晶の世界への旅』/『シルヴェストル氏』/『最後の愛』/『転がる石』/『マルグレトゥ』/『戦時下のある旅人の日記』/『ナノン』/『お祖母さまのお話集』/『マリアンヌ』
〈エピローグ〉サンドの遺したメッセージ――ジョルジュ・サンドの今日性(持田明子)
ジョルジュ・サンド 略年譜(1804-76)
関連情報
【同時代人のサンド評】
センセーショナルな文壇登場でした。1832年5月19日に発表された『アンディアナ』での登場です。彼女は1か月でたちどころに認められました。
『アンディアナ』を大いに賞賛したヘンリー・ジェイムズは次のように評しています、「彼女はまるで鳥が歌うように書いている、だが、ほとんどの鳥たちと違って彼女は完全に習熟させたその声を一挙に聞かせたのだ」。
サンドの作品は読まれたのでしょうか? そうです、驚異的なほど多く読まれました。文壇に登場するや、たちまち爆発的に成功し、バルザック、ユゴー、ゴーチエ、メリメ、サント=ブーヴ、テーヌ、ミシュレに賞賛されました。〈今世紀最大の散文作家〉とミシュレは評しています。
外国では、イタリア、とりわけロシアで、途方もない成功をかち得ました。ドストエフスキーはジョルジュ・サンドの熱烈な読者でした。(M・ペロー)
編著訳者紹介
●持田明子(もちだ・あきこ)
1969年東京大学大学院博士課程中退。九州産業大学名誉教授。専攻はフランス文学。著書に『ジョルジュ・サンド 1804-76』,編訳書に『ジョルジュ・サンドからの手紙』『往復書簡 サンド=フロベール』,訳書にサンド『サンド―政治と論争』『魔の沼ほか』『コンシュエロ 上下』,ペロー『寝室の歴史』(以上,藤原書店)他。
●大野一道(おおの・かずみち)
1941年生まれ。1967年東京大学大学院修士課程修了。中央大学名誉教授。専攻は近代フランス文学。著書に『ミシュレ伝』『「民衆」の発見――ミシュレからペギーへ』,訳書にミシュレ『女』『世界史入門』『学生よ』『山』『人類の聖書』『全体史の誕生』(編訳)『万物の宴』(編・共訳)『民衆と情熱』全2分冊(編・共訳),共編訳書にミシュレ『フランス史』全6巻(以上,藤原書店)他。
【著者紹介】
●ミシェル・ペロー(Michelle PERROT)
1928年生まれ。パリ第七大学名誉教授。19世紀の労働者,社会運動,民衆文化,犯罪と刑務所制度の研究の後,女性史の新しい領野を切り拓く。邦訳されている主要著作に『歴史の沈黙』,『寝室の歴史』他。編著書に『女性史は可能か』,『女の歴史』(G・デュビィ共同監修,全5巻10分冊,以上邦訳・藤原書店)がある。ジョルジュ・サンド関連の著作に,George Sand à Nohant : une maison d'artiste(ノアンのジョルジュ・サンド――芸術家の館)(Seuil, 2018),Politique et polémiques : 1843-1850(Impr. nationale, 1997)(編書。邦訳『サンド―政治と論争』)がある。
●宮川明子(みやがわ・あきこ)
1940年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。明治学院大学名誉教授。専攻はフランス文学。詩集に『不確かな朝』(新芸術社),『物語N』(深夜叢書社)。訳書に『ジャリ詩集』(思潮社),ジャリ『ユビュ王Comic』(青土社),ラシルド夫人『超男性ジャリ』(作品社),R・クノー『オディール』(月曜社)『最後の日々』(水声社)他。
◆ジョルジュ・サンド George Sand(1804-76)
1804年、パリに生まれる。中部フランスの田園地帯ノアンの祖母のもとで育つ。1822年、カジミール=フランソワ・デュドヴァンと結婚。1831年、パリに出、『ル・フィガロ』紙に寄稿を始める。1832年、G・サンドの筆名で『アンディアナ』を出版、文壇にデビュー。1833年、メリメとの短い関係を経て、ミュッセとの関係(~35年)。1836年、夫との別居協定が法的に成立。この頃リスト、マリ・ダグー伯爵夫人、ドラクロワらと交流。1838年、二人の子どもたちを伴って、ショパンとマヨルカ島でひと冬を過ごす。47年まで共に暮らし、豊かな創作時期を過ごす。1841年、P・ルルー、L・ヴィアルドとともに『独立評論』誌を創刊。1843年、大作『コンシュエロ』を完成。1847年、家族の前史まで遡る自伝『わが生涯の歴史』の執筆に着手(54年連載開始)。1848年二月革命勃発、臨時革命政府メンバーの傍で積極的に活動。1849年『捨て子フランソワ』がオデオン座で大成功を収める。1850年、彫刻家マンソーとの関係が始まる。1852年、政治犯の恩赦を求めてナポレオン3世に謁見。1864年『ヴィルメール侯爵』がオデオン座で大成功。この頃デュマ・フィス、フロベール、ツルゲーネフらと交流。1876年死去。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです