- バルザック 著
- 山田登世子 訳・解説
- 序=今福龍太・町田康・青柳いづみこ
- A5上製 248頁
ISBN-13: 9784865784374
刊行日: 2024/9
大文豪バルザックは、大ジャーナリストでもあった!
待望の新版!
文豪バルザックが、19世紀前半のパリ風俗を皮肉と諷刺で鮮やかに活写した不朽の名著。バルザックの炯眼が鋭く捉えた“近代の毒と富”のリアルを、山田登世子による達意の訳でお届けする。
■本書を推す――新版への序より
今福龍太(文化人類学者)「バルザックに戻りさえすれば、学問がいかに破天荒な自由を持っていたかを衝撃とともに発見する」
町田康(作家)「人間がどのように生きるべきか、について書いている振りをしながら、どのような事になってしまっているか、を詳細に描いている」
青柳いづみこ(ピアニスト・文筆家)「19世紀末にパリの文壇・楽壇双方に伝搬したポー旋風の源流にバルザックがいるというのは、本当に驚嘆すべきことではないか」
目次
〈本書を推す〉
バルザックとともに呼吸する文体 今福龍太
人間はどのような事になってしまっているか 町田康
バルザックとの新たな冒険 青柳いづみこ
●優雅な生活論
第1部 総論
第1章 序説
暇なし生活について/芸術家の生活について/優雅な生活について
第2章 優雅な生活の感覚について
第3章 本著の構想
第2部 一般的原理
第4章 教義
第3部 直接に人を表す事物について
第5章 身だしなみ百般
身だしなみの全世界的原理
●歩きかたの理論
●近代興奮剤考
序
近代興奮剤考
問題の所在/蒸留酒について/コーヒーについて/タバコについて/結び
〈解説〉近代の毒と富――バルザック『風俗のパトロジー』について(山田登世子)
訳者あとがき
関連情報
■バルザックはおよそ100編にものぼる小説群を書いて19世紀フランス社会の「悪徳と美徳の目録」を綴り、巨大な風俗の歴史を描きあげた。『人間喜劇』と名づけられたその世界のなかには、野心家あり事業家あり、貴婦人あり娼婦あり、商人、学者、芸術家、総勢2000名を超える職業も顔もとりどりの人物たちがひしめきあい、壮大な風俗絵巻を繰り広げて見せてくれる。
■けれども『人間喜劇』の作者は、社会を描くばかりでなく、社会を動かす「原理」を探ろうとした。「こうして描かれた社会はその運動の原理をそなえていなければならない」(『人間喜劇』序)。近代社会の画家バルザックは、同時に近代の哲学者たらんと欲したのである。
■めざましい発展を遂げてゆく近代フランスに分析のメスを入れ、その「運動の原理」を探ること、それが哲学者バルザックの野心だった。『社会生活の病理学』Pathologie de la vie sociale(本書の原題)はここから生まれた。
(訳者解説より)
●バルザック『風俗のパトロジー』名言集
「金持ちには、成ってなれるが、優雅は生まれつきである。」
「とどのつまり、現代は金持ちの民主主義ではないか。」
「新しい差異のしるしは、ものを優雅に使いこなすことだ。」
「歩きながら女性はすべてを見せるが、それでいて何ひとつのぞかせるわけではない。」
「社会に生きる人間にとって、生きるとは遅かれ早かれ自分をすり減らすことである。」
「すべての不節制は、粘膜を損ない、命を縮める。」
「お洒落は服そのものより、着こなし方にある。」
「お洒落とは、学問であり、芸術であり、習慣であり、感性である。」
「残るはただニュアンスのみ。」
「服装は社会の表現である。われわれの社会のすべてが女性のスカートの中にある。」
著者紹介
●バルザック(Honore de Balzac, 1799-1850)
1799年5月20日生まれ。1816年(17歳)、コレージュを修了後、代訴人の事務所で見習いとして働くかたわら、パリ大学法学部で講義を受ける。1819年(20歳)、公証人にしようという両親の希望を拒否、作家志望を宣言。一年の猶予期間が与えられ、一人で屋根裏部屋にこもって文学修行を始める。1821年、出版ブローカー兼雑文作家のルポワトヴァンと知り合い、1827年までの6年間に偽名で数多くの通俗小説や記事を書く。1822年、ベルニー夫人(当時45歳)との関係が始まる。以後1836年の死まで夫人は物心両面でバルザックを支える。1825年、家族やベルニー夫人の資金援助を受け、出版業を始める。次に印刷業、活字鋳造業と手を広げるが、いずれも失敗、3年後、約6万フランの負債を抱えて事業から手を引く。1829年、『最後のふくろう党』を初めて「オノレ・バルザック」の実名で出版。12月、『結婚の生理学』を匿名で出版。これが思わぬ成功を博す。1830年から活発な文筆活動に入り、「オノレ・ド・バルザック」と署名し始める。1831年、『あら皮』などの成功で人気作家となる。1832年、ウクライナの大貴族の夫人エヴリーヌ=コンスタンス=ヴィクトワール・ハンスカとの文通が始まる。1834年、自分の著作全体を体系化することを考え始め、『ペール・ゴリオ』から「人物再登場法」を適用し始める。新聞事業での成功を狙って『クロニック・ド・パリ』紙の株を取得するがうまくゆかず、新たに4万6千フランの負債が増える。1839年、文芸家協会の第三代会長になる。著作権の確立のために努力。1840年、著作全体の総題に「人間喜劇」を冠する。1843年、ハンスカ夫人に結婚を申し込む。1848年、第17巻の刊行をもって「人間喜劇」出版契約完了。健康状態が悪化。1849年、二度のアカデミー・フランセーズの会員選挙で落選。1850年、ハンスカ夫人と結婚。8月18日、死去。葬儀は21日、墓前の追悼演説はヴィクトル・ユゴー。
【訳者紹介】
●山田登世子(やまだ・とよこ)
1946-2016年。福岡県田川市出身。フランス文学者。愛知淑徳大学名誉教授。
主な著書に、『モードの帝国』(ちくま学芸文庫)、『娼婦』(日本文芸社)、『声の銀河系』(河出書房新社)、『リゾート世紀末』(筑摩書房、台湾版『水的記憶之旅』)、『晶子とシャネル』(勁草書房)、『ブランドの条件』(岩波書店、韓国版『Made in ブランド』)、『贅沢の条件』(岩波書店)、『誰も知らない印象派』(左右社)、『「フランスかぶれ」の誕生』『モードの誘惑』『都市のエクスタシー』『メディア都市パリ』『女とフィクション』『書物のエスプリ』(藤原書店)など多数。
主な訳書に、バルザック『従妹ベット』上下巻(藤原書店)、アラン・コルバン『においの歴史』『処女崇拝の系譜』(共訳、藤原書店)、ポール・モラン『シャネル――人生を語る』(中央公論新社)、モーパッサン『モーパッサン短編集』(ちくま文庫)、ロラン・バルト『ロラン・バルト モード論集』(ちくま学芸文庫)ほか多数。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです