- 鶴見祐輔 著
- 一海知義 校訂
- 四六変上製 672頁
ISBN-13: 9784894344211
刊行日: 2004/12
後藤新平の全生涯を描いた金字塔!
医療・交通・通信・都市計画等の内政から、対ユーラシア及び新大陸の世界政策まで、百年先を見据えた先駆的な構想を次々に打ち出し、同時代人の度肝を抜いた男、後藤新平。その知られざる業績の全貌を初めて明らかにする。
波乱万丈の生涯を、膨大な一次資料を駆使して描ききった評伝の金字塔。完全に新漢字・現代仮名遣いに改め、資料には釈文を付した決定版。
目次
第一巻 『医者時代 1857-93』より続く
第四章 相馬事件 1877~87年 / 92~94年
1 前相馬事件
2 後相馬事件
第五章 衛生局後期 1894~98年
1 臨時陸軍検疫部
2 衛生局長に復活
相馬事件概説
関連情報
■内務省衛生局長となった後藤新平は、明治中葉の世を騒がせた相馬事件に法医学の立場から関与する。持ち前の情の深さから関わりを深め、やがて自由党首領で相馬家の弁護士星亨や外相陸奥宗光の圧力により拘留、職を解かれる。裁判を闘いぬき無罪を勝ち取ったが、この人生の挫折への反省と「不倒翁」の精神は以後の人生を支える原点となった。
■1894年、牢を出た後藤を待っていたのは、日清戦争からの大量の凱旋兵の検疫事業だった。瀬戸内海の三つの島に巨大な検疫所を短期日に建設し、コレラの侵入と戦うという、空前の難事業だったが、後藤は文字通り不眠不休の取り組みの末、遂に成功させる。その背景には、後藤の力を見抜いて任せた上司・児玉源太郎少将の絶大な信頼があった。かくして後藤は内務省衛生局長に復帰し、児玉と後藤との間には深い友情の絆が結ばれる。
■復帰後の後藤は、ビスマルクに学んだ社会政策の実現に邁進する。北里柴三郎の伝染病研究所の国有化、恤救基金案・法案、救貧法案、監獄衛生制度意見書など、立て続けに元勲伊藤博文への建白や議案を提出したが実現に至らない。しかし、時代は後藤新平を求めていた。日本政府は、日清戦役で台湾を獲得したものの、阿片の習癖、島民の叛乱、群賊の横行に手を焼いていた。ここに斬新な阿片政策を建白したのが後藤だった。これが取り上げられ、後藤は桂太郎・伊藤博文とともに台湾を視察、台湾統治法を建議し、台湾島という波乱万丈の舞台のとば口に立つ。