- 鶴見祐輔 著
- 一海知義 校訂
- 四六変上製 768頁
ISBN-13: 9784894345072
刊行日: 2006/3
後藤新平の全生涯を描いた金字塔!
医療・交通・通信・都市計画等の内政から、対ユーラシア及び新大陸の世界政策まで、百年先を見据えた先駆的な構想を次々に打ち出し、同時代人の度肝を抜いた男、後藤新平。その知られざる業績の全貌を初めて明らかにする。
波乱万丈の生涯を、膨大な一次資料を駆使して描ききった評伝の金字塔。完全に新漢字・現代仮名遣いに改め、資料には釈文を付した決定版。
目次
第1章 戦後欧米の遍歴 1919年
1 米国訪問
2 英国訪問
3 フランス訪問
4 英国と大陸往返
5 米国再訪
第2章 大調査機関案 1920年
1 計画および準備
2 実現への努力
3 二大論策
第3章 東京市長 1920~23年
1 就任の経緯
2 人事刷新
3 八億円計画
4 教育の刷新
5 東京市政調査会
6 社会施設その他
7 光栄の思い出
8 辞 任
第4章 対ヨッフェ交渉 1923年
1 満目の荊棘を拓く
2 熱海会商
3 日露漁業問題
第8巻『「政治の倫理化」時代 1923-29』へ続く
関連情報
■1919年3月、後藤新平は新渡戸稲造らと共に、第一次世界大戦直後の欧米視察に旅立つ。米国ではフォード、バーバンク、エジソンら著名人と会見し、商務省標準局を見学する。欧州に渡ると、英国ではジョージ五世に拝謁しハウス大佐と面談、仏では外相ピションを訪問、西部戦跡を見て、ベルギー皇帝から勲章を親授される。米国に戻る船中でフーバーと会談、前大統領タフトを訪問するなど、実り多き238日間の旅路を経て、11月に帰国する。
■後藤はこの欧米視察を経て、大戦後の熾烈な市場競争で日本が生き残るには科学と情報が決定的と確信する。世界中に網を張り、中枢で産業参謀本部の役割をになう大調査機関を構想した後藤は、その設置につき首相原敬と交渉、原も必要性を認め政府案を作るが、後藤はそれが小規模で官僚的と見て拒否する。
■1920年、東京市長が汚職事件で辞任、後藤に後任の白羽の矢が立つ。市長として改革に乗り出した後藤は、吏員・教員の大量リストラなどを次々に実施、東京改造八億円計画をぶちあげ、米人ビーアドの助言と安田善次郎の寄付のもと東京市政調査会を設立する。
■市長就任の年、大陸では尼港事件が発生、日本は北樺太を保障占領する。この問題をめぐる日ソ長春会議は決裂、ソ連極東全権ヨッフェは上海で孫文と会見する。後藤は中ソの接近に危機感を覚え、1923年には、ヨッフェを日本に招き日ソ協調の道を探る。市長を辞任した後藤は、日ソ問題に専念し、日ソ漁業条約の調印にこぎつける。