「シリーズ 後藤新平とは何か ―― 自治・公共・共生・平和」 発刊によせて
〈序〉 世界人類としての共生へ
世界認識を支える柱 経済的共生地帯という構想 ドイツ産業参謀本部
対米国観と大戦後について 完全な有機的世界人類に向けて ―― 『日本膨脹論』
Ⅰ 後藤新平のことば
Ⅱ 後藤新平「世界認識」を読む――識者からのコメント
世界とアジアと日本 ――― 国際交流基金理事長/元フランス・韓国大使 小倉和夫
人類社会への見方 アジアをどう見るか 日本はどこへ行く
後藤新平の殖民地経営哲学 ――― 拓殖大学学長 渡辺利夫
―― 生物学的殖民地論と文装的武備論 ――
後藤新平の体系知 ――― 作家・元外務省主任分析官 佐藤 優
帝国主義外交の文法に通暁 不安定な時代の到来を洞察 体系知をもつ人物とは
地政学的な世界認識 ――― 法政大学日ロ関係研究所特任研究員 V・モロジャコフ
Ⅲ 世界認識 後藤新平
対清対列強策論稿本 (1907年以前)
満洲経営にあたっての清の重要性 鉄道は世界人類の利器 戦わずして勝つの道
清国を列国の間に孤立させよ 日英同盟が米国・ドイツの東洋政策に及ぼす影響
フランス・ロシアとの関係
対清政策上に於ける日露日仏協商の価値 (1907年)
清国の国運 日露戦争の帰結 経済的戦略の重要性 ドイツの動静 わが国の対清政策
東洋の平和と帝国の国運 〈附言〉
厳島夜話 (1907・1927年)
伊藤博文との会談 伊藤公に大陸漫遊を提案 大アジア主義を説く 新旧大陸対峙論の提唱
シャルクの独仏同盟論 伊藤公の冷評 伊藤公を再訪 向島での会談 伊藤公の暗殺
桂公との懇談 伊藤・桂両公の遺志
コラム 後藤新平の「武士道」論
日本膨脹論(抄) (1916年)
執筆の由来 序 再版序 第1章 緒 論 第5章 世界主義は終極の理想
第6章 世界主義に隠れた民族思想 (上 政治的方面) 第7章 世界主義に隠れた民族
思想 (下 文化的方面) 第11章 膨脹国民としての日本民族 第14章 結 論
不徹底なる対支政策を排す (1916年)
引退してからの十年を振り返る セカンド・ハンドの対支政策 支那に対する知見の不徹底
支那に寄生する益虫たれ 東亜経済結合の緊要
シベリア出兵意見 (1918年)
連合国に対するドイツの持久的抵抗力 東洋平和と自衛のための百年の計 シベリア出兵論
世界の変局に対する日本の国際的地位 (1918年)
国際社会の一大転換期 平和確立後の世界 日本の出兵 「戦争気分」がない
東洋の盟主としての日本 日本の経済的発展 戦争獲得金と損害 富と国家的地位の正当な
自覚 世界の大勢をみる
欧米漫遊所見(抄) (1920年)
戦場跡を訪ねて 文明学術を戦争に応用する危険 実地での観察 ドイツの産業参謀本部
サイエンスの効用 イギリスの自治警察
コラム ロンドンでの見聞 後藤のビスマルク像 マッカドウとの懇談
世界平和と日本の使命 (1928年)
日本の外交政策の真意 日本は歴史的に平和の愛好者 日清、日露開戦の根拠
ワシントン会議に失望する ヨッフェ招請の理由 平和主義は日本の国是
コラム 後藤新平とフランス大使クローデル (門田眞知子)
東洋政策一斑 (1927年)
はしがき 東洋政策の標的は露支両国 満蒙問題はすなわち対露問題 東洋政策樹立の具体案
ソヴィエト・ロシアの朝鮮人懐柔 朝鮮人の民族自決運動 私が日露親善に努力する真意
赤化に対するわが態度 日本民族の自信力
コラム ゾルフ博士との交情
ボリシェヴィキ、後藤を偲ぶ (V・モロジャコフ)
〈解 説〉 後藤新平の対外政策論と「世界認識」―――――― 井上寿一
解 題 本書所収の資料について ―――――――――――――――― 春山明哲