- 後藤新平研究会 編著
- A5並製 256頁 図版・資料多数収録
ISBN-13: 9784894348110
刊行日: 2011/7
1923年9月1日午前11時58分、関東大震災発生
そのとき、後藤新平は?
いま、なぜ「平成の後藤新平」が求められているのか? 大地震翌日、山本権兵衛内閣の内務大臣を引き受けた後藤は、その2日後「帝都復興の議」を立案する。その構想は、政争の中で削減されてゆくが、基本構想は残った。わずか120日という短期間で、現在の首都・東京や横浜の原型をどうして作り上げることが出きたか?
豊富な史料を読み解き、「復興」への道筋を跡づけた決定版ドキュメント。
目次
関東大震災と東日本大震災 ―― 序にかえて
I 後藤新平・帝都復興120日の軌跡
―― 証言と記録から構成したドキュメント ――
はじめに
プロローグ 第二次山本権兵衛内閣の成立
9月1日
1 「帝都復興の議」 を閣議に提出
9月6日
2 帝都復興院の創設とスタッフ人事
9月19日~30日
3 復興計画の策定
9月27日~11月15日
4 ビーアドの再招請そして進言
10月6日~11月3日
5 紛糾する第二回帝都復興審議会
11月24日
6 臨時議会
12月11日~24日
7 後藤新平の役割とは何だったのか
エピローグ 自治精神で 「帝都復興」 へ ――都市は市民がつくるもの
注
II 資 料 ―― 都市の復興と自治の精神
「帝都復興の議」 (1923年9月6日)
後藤新平
「帝都復興の詔書」 (9月12日)
「大乗政治論」 (10月3日)
後藤新平
「内相進退伺いの状」 (11月)
後藤新平
「三百万市民に告ぐ ―― 山本内閣入閣の情由と復興計画に対する所信」 (1924年)
後藤新平
「後藤伯と帝都復興」 (1929年6月)
佐野利器
「後藤伯とビーアド博士」 (1929年6月)
鶴見祐輔
「後藤伯追憶座談会より」 (1929年6月)
内田嘉吉 / 堀切善次郎
「東京市民の大恩人後藤伯を偲ぶ」 (1930年4月)
水野錬太郎
「都市は市民がつくるもの」 (1922年)
チャールズ・A・ビーアド
「後藤子爵と東京の復興」 (1924年4月)
チャールズ・A・ビーアド
[解題] 本書に収録した資料および参考資料について
図版出典
[特別附録] 後藤新平を中心にした関東大震災の復興プロセス
あとがき
人名索引