- 石牟礼道子 著
- 四六上製 400頁
ISBN-13: 9784894349407
刊行日: 2014/1
石牟礼道子はいかにして石牟礼道子になったか?
無限の生命を生む美しい不知火海と心優しい人々に育まれた幼年期から、農村の崩壊と近代化を目の当たりにする中で、高群逸枝と出会い、水俣病を世界史的事件ととらえ『苦海浄土』を執筆するころまでの記憶をたどる。『熊本日日新聞』大好評連載、待望の単行本化。
失われゆくものを見つめながら「近代とは何か」を描き出す白眉の自伝!
目次
第一部
1 水俣の栄町での日々
2 父祖の地・天草
3 祖父・松太郎と事業の夢
4 祖母・おもかさま
第二部
5 天草を遡る旅
6 「末廣」のすみれの悲劇
7 水俣川河口に移り住む
8 原郷としての不知火海
9 戦争の影
第三部
10 実務学校期
11 代用教員期
12 終戦と戦災孤児
13 葛渡小学校勤務
14 弟の心境
15 結婚と厳しい生活環境
16 歌人・志賀狂太の運命
第四部
17 サークル村への参加と水俣病との出会い
18 西南の役から近代日本を考える
19 高群逸枝著作および橋本憲三氏との出会い
20 田上義春さんのこと
21 水俣の奇病を問いつつ
22 道行きのえにしはまぼろしふかくして
あとがき
石牟礼道子略年譜(1927- )
関連情報
「宮野河内の人方の御恩を、くれぐれも忘れんように。まるで宝物のように可愛がっていただいた」
その言葉ははるのの遺言となった。
はるのの言い遺したかの地の人たちは、もうこの世におられまい。八十年も前のことである。よそ者の赤児の誕生を祝ってくださった宴を思い浮かべる。方々の家から鯛やタコ、イカ、ナマコなどが持ち寄られ、婆さまたちが三味線を弾き、芸達者たちが踊ってくれたそうで、私が出生の地を天草と思うのは、右のようなゆかりあってのことである。
赤児の名は道路の完成を予祝して、道子と命名された。
(本文より)
《訂正表》
本書初刷に誤記がございました。
下記のURLから訂正表の御確認をお願いいたします。
読者、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。 藤原書店編集部
訂正表
著者紹介
●石牟礼道子のプロフィール、関連書籍は
こちらをご覧下さい。