- 竹内敏晴 著
- 四六変上製 368頁 口絵1頁
ISBN-13: 9784894349568
刊行日: 2014/2
いのちとは、問うもの応えるものの出会いにおいて散る火花のことだ。
真にことばを掴んだ瞬間の鮮烈な経験を記したロングセラー『ことばが劈かれるとき』著者として、「からだ」から「生きる」ことを考え抜いた稀有の哲学者の精選集!
〈月報〉庄司康生・三井悦子・長田みどり・森洋子
目次
Ⅰ ドラマとしての授業
はじめに――湊川で学んだことの一つ
語り手と対話者――林竹二氏の授業
「田中正造――谷中村」の湊川における上演と主体であるレッスンの仲間の形成について
湊川でおこったこと――戯曲「奇蹟の人」批判
Ⅱ ことばとからだの戦後史
プロローグ 六十一歳の越え方――死へのイニシエーション
からだの海にざわめき立つ波――オハヨウからムカツクまで
鎮魂歌――ヒロシマ、八月、島の聞き書き
皐月の花はむらさきのいろ――信じるということ
援助するということ
夢としての生・序――その一 待つ
夢としての生・序――その二 道行
エピローグ 断章――「愛」そして「他者」
Ⅲ 老いのイニシエーション
プロローグ 誕生
出会い
加害者
習慣としての「からだ」――解体と出発
他者が現れるとき
エピローグ ヨナの目覚め――始まりの書
Ⅳ 人間であるということ
ドラマ化して考えたこと――「田中正造――谷中村」について
ドラマとサイコ・ドラマ――アクション(演技)の次元について
生命――「いのち」の定義
◎竹内敏晴の人と仕事3 「無方法という方法」 鷲田清一
◎ファインダーから見た竹内敏晴の仕事3 安海関二
関連情報
自発的に他者を呼び出し、それを持ちこたえ受け入れること。さらに、それに答えること。その過程で自分は相手に突破され変ってゆき、また相手も変ってゆくであろう。これが、人と人とが出会うということなのだろう。ことばを持たず、ふれあうことのみを知っていた「からだ」。ふれあいにも問いと答えとがあることは先に述べたが、もっとも原初の、ことばのもとのもとの「ことば」の立ち上る地点として私は「問う」ことを始める、ようやくに、今、私はそこに立つ。「問う」自分を知ることは、すでに、あるいは常に他者から「問われている」自分に気づくことであるだろう。
(本書より)
著者紹介
●竹内敏晴(たけうち・としはる)
1925年、東京生。演出家。東京大学文学部卒。ぶどうの会、代々木小劇場=演劇集団・変身を経て、72年竹内演劇研究所開設(~86年)。79~84年宮城教育大学教授。その後も「からだとことばのレッスン」に基づく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者療育に取り組みつづける。2009年9月7日死去。
著書に『ことばが劈かれるとき』(思想の科学社、のちちくま文庫)『声が生まれる』(中公新書)『生きることのレッスン』(トランスビュー)『からだ=魂のドラマ』(林竹二との共著)『「出会う」ということ』『レッスンする人――語り下ろし自伝』(以上、藤原書店)など多数。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです