- チャールズ・A・ビーアド
- 開米潤・丸茂恭子=訳
- A5上製 520ページ
ISBN-13: 9784865781595
刊行日: 2018/01
20世紀アメリカ最高の現代史家が、終戦直後に出版した幻の名著、遂に完訳!
大好評を博した『ルーズベルトの責任』(全2巻)の姉妹版!
「なぜ第二次大戦にアメリカは参戦し、誰に責任はあるのか」という米国民の疑問に終止符を打つ、国内で大センセーションを巻き起こした衝撃の書! 本邦初訳
目次
序 文
第一部 〈問題提起〉戦後アメリカの「戦争責任」論争
第1章 第二次世界大戦を引き起こしたのは“邪悪な”上院議員たちか
第2章 第二次世界大戦の責任を負うべきはアメリカ国民か
第3章 戦争責任の告発によってもたらされた問題
第二部 〈本 論〉ルーズベルトの外交政策
第4章 予備的考察――1924年と28年の選挙における民主党指導部の姿勢
第5章 国際連盟を拒絶――1932年
第6章 孤立政策を支持する――1933年
第7章 孤立主義の路線を守り通す――1934~36年
第8章 “転換”と“回帰”――1937~38年
第9章 中立・平和・不干渉の再確認――1939年
第10章 大統領選挙での平和の約束――1940年
〈附〉国内政治と戦争(1935年2月)
訳者あとがき/関連年表/人名索引
関連情報
戦争が行われている世界において、特に一九三三年と一九四〇年の間において、合衆国の不関与と平和と中立の政策が国民または国をそれほどまでに強くとらえて支配し続けたのは、一体だれの影響と斡旋によるものだったのだろうか。ルーズベルト大統領とハル国務長官は、あるいは彼らが密接な関係にあった民主党指導部は、こうした政策に表された孤立主義を進展させることに一貫して反対していたのだろうか。それともそうした政策が国民あるいは国を強く掌握するうえで、彼らは何かしら重要な役割を果したのだろうか。
この「決定的な何年間か」のどの段階で、大統領と国務長官は、この国の人々が大切にしていた中立と孤立主義の政策を支持できないと決断し、別の外交政策――それと反対の政策――が合衆国の利益にもっともかなうものであると国民に発表したのだろうか。どの演説で、どの講演で、どの声明で、大統領と国務長官は、この国に彼らの決定的な決断とそれまでの合衆国の孤立政策と中立と平和に反する新たな外交政策の概要を示したのだろうか。
(本文より)
【著者紹介】
●チャールズ・A・ビーアド(Charles Austin Beard)
1874年米国インディアナ州生まれ。オックスフォード大学留学,コロンビア大学などで歴史学,政治学を修め,1915年に同大学教授に就任。米国の第一次世界大戦への参戦で,大学総長の偏狭な米国主義に対し,思想信条にそぐわない三人の教授が解雇されたのを機に,正義感の人,ビーアドも昂然と大学を去る。1917年,ニューヨーク市政調査会理事に就任。22年には当時の東京市長,後藤新平の招請で来日。その調査・研究成果の集大成が『東京市政論』で,日本の市政研究の先駆けともなった。23年関東大震災直後に再来日。東京の復興に関する意見書を提出するなど「帝都復興の恩人」として活躍。後に,焦土と化した戦後の日本の都市計画にも示唆を与えた。米国政治学会会長,米国歴史協会会長を歴任。48年,コネチカット州で死去。享年74。
邦訳された著書に,本書の姉妹篇としてアメリカの対日開戦の真相を分析したPresident Roosevelt and the Coming of War,1941,1948(開米潤監訳『ルーズベルトの責任』上・下)の他,The Republic,1943(松本重治訳『アメリカ共和国』),The American Spirit,1942(高木八尺・松本重治訳『アメリカ精神の歴史』),メアリー夫人との共著A Basic History of the United States,1944(松本重治訳『アメリカ合衆国史』)などがある。
【訳者紹介】
●開米潤(かいまい・じゅん)
福島県いわき市生まれ。東京外大卒。共同通信社記者,『外交フォーラム』編集顧問などを経て株式会社メディア グリッドを設立。著書『松本重治伝――最後のリベラリスト』(2009年),共訳書にCh. A. ビーアド『ルーズベルトの責任――日米戦争はなぜ始まったか』(上・下,2011年),編著に『ビーアド『ルーズベルトの責任』を読む』(2012年,以上藤原書店)。
●丸茂恭子(まるも・きょうこ)
東京都生まれ。慶大卒。共訳書にCh. A. ビーアド『ルーズベルトの責任――日米戦争はなぜ始まったか』(上・下,2011年)。
この「決定的な何年間か」のどの段階で、大統領と国務長官は、この国の人々が大切にしていた中立と孤立主義の政策を支持できないと決断し、別の外交政策――それと反対の政策――が合衆国の利益にもっともかなうものであると国民に発表したのだろうか。どの演説で、どの講演で、どの声明で、大統領と国務長官は、この国に彼らの決定的な決断とそれまでの合衆国の孤立政策と中立と平和に反する新たな外交政策の概要を示したのだろうか。
(本文より)
【著者紹介】
●チャールズ・A・ビーアド(Charles Austin Beard)
1874年米国インディアナ州生まれ。オックスフォード大学留学,コロンビア大学などで歴史学,政治学を修め,1915年に同大学教授に就任。米国の第一次世界大戦への参戦で,大学総長の偏狭な米国主義に対し,思想信条にそぐわない三人の教授が解雇されたのを機に,正義感の人,ビーアドも昂然と大学を去る。1917年,ニューヨーク市政調査会理事に就任。22年には当時の東京市長,後藤新平の招請で来日。その調査・研究成果の集大成が『東京市政論』で,日本の市政研究の先駆けともなった。23年関東大震災直後に再来日。東京の復興に関する意見書を提出するなど「帝都復興の恩人」として活躍。後に,焦土と化した戦後の日本の都市計画にも示唆を与えた。米国政治学会会長,米国歴史協会会長を歴任。48年,コネチカット州で死去。享年74。
邦訳された著書に,本書の姉妹篇としてアメリカの対日開戦の真相を分析したPresident Roosevelt and the Coming of War,1941,1948(開米潤監訳『ルーズベルトの責任』上・下)の他,The Republic,1943(松本重治訳『アメリカ共和国』),The American Spirit,1942(高木八尺・松本重治訳『アメリカ精神の歴史』),メアリー夫人との共著A Basic History of the United States,1944(松本重治訳『アメリカ合衆国史』)などがある。
【訳者紹介】
●開米潤(かいまい・じゅん)
福島県いわき市生まれ。東京外大卒。共同通信社記者,『外交フォーラム』編集顧問などを経て株式会社メディア グリッドを設立。著書『松本重治伝――最後のリベラリスト』(2009年),共訳書にCh. A. ビーアド『ルーズベルトの責任――日米戦争はなぜ始まったか』(上・下,2011年),編著に『ビーアド『ルーズベルトの責任』を読む』(2012年,以上藤原書店)。
●丸茂恭子(まるも・きょうこ)
東京都生まれ。慶大卒。共訳書にCh. A. ビーアド『ルーズベルトの責任――日米戦争はなぜ始まったか』(上・下,2011年)。