- 森繁久彌 著
- [解説]佐々木愛
[月報]池辺晋一郎/本條秀太郎/林家正蔵/原荘介 - 四六上製 360頁 口絵2頁
ISBN-13: 9784865782684
刊行日: 2020/4
昭和の名優、 最後の文人
森繁久彌さんの集大成!
「自由のハキ違いが、『らしさ』を失わしめた。学生らしさ、先生らしさ、学者らしさ、男らしさ、女らしさ。
そういえば、みんな無い。
親らしさも、子供らしさもない。
つまりは日本らしさも無くなったんだろう。」
(本文より)
人生のさまざまな場面で、だれの心にもしみる一言。
目次
第一章 ブツクサ談義
第二章 わたしの自由席
第三章 道
底本一覧
[解説]人間森繁久彌、バンザイ!(佐々木 愛)
第二章 わたしの自由席
第三章 道
底本一覧
[解説]人間森繁久彌、バンザイ!(佐々木 愛)
関連情報
世の中に鬼がいなくなった
何とも情けないおたふくの群ればかり
政治家しかり
知事・市長、異ならず
財界はおろか
教師、つまり教育者にも
演劇にも
親でさえ
鬼と思われる者は既にいない
何とかの父では些か不足だ
もっと強引で、いやがられても、どつかれても、初心を曲げず、その道をゆく、
鬼の男は姿を消した
それに変わって、女鬼という出来そこないが世にはばかる。
世紀の前進は鬼と呼ばれる力で、今日まであったかに覚えるは、
非才浅学のざれ言と、ののしられようか。
(森繁久彌)
【著者紹介】
●森繁久彌 (もりしげ・ひさや)
大正2(1913)年、大阪府枚方市に生れる。2歳の時に父・菅沼達吉が死去。大正9年、母方祖父の姓を継ぎ森繁久彌に。昭和10年、早稲田大学商学部入学。昭和11年、東宝新劇団に入団、解散し東宝劇団歌舞伎、次いでロッパ一座に。昭和14年、NHKアナウンサー試験を経て、満洲の新京中央放送局に勤務。昭和21年、新京で劇団コッコ座を結成、11月帰国。昭和22年、「女優」で映画初出演。昭和24年、新宿ムーラン・ルージュに参加。昭和25年、「腰抜け二刀流」で映画初主演。昭和28年、「半七捕物帳 十五夜御用心」でテレビ初出演。昭和30年、映画「警察日記」「夫婦善哉」大ヒット。昭和31年、ブルーリボン賞、「へそくり社長」で「社長シリーズ」始まる。昭和33年、「駅前旅館」で「駅前シリーズ」始まる。昭和35年、初プロデュースの主演映画「地の涯に生きるもの」。この撮影で「知床旅情」作詞・作曲。昭和37年、森繁劇団の旗揚げで「南の島に雪が降る」上演。昭和42年、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」初演(主演テヴィエ役、昭和61年に900回を迎える)。昭和48年、映画「恍惚の人」大ヒット。昭和59年、文化功労者。平成3年、俳優として初の文化勲章を受章。平成16年、映画「死に花」で最後の映画出演。テレビドラマ「向田邦子の恋文」で最後の演技。平成21(2009)年11月10日死去。12月、国民栄誉賞が追贈。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
何とも情けないおたふくの群ればかり
政治家しかり
知事・市長、異ならず
財界はおろか
教師、つまり教育者にも
演劇にも
親でさえ
鬼と思われる者は既にいない
何とかの父では些か不足だ
もっと強引で、いやがられても、どつかれても、初心を曲げず、その道をゆく、
鬼の男は姿を消した
それに変わって、女鬼という出来そこないが世にはばかる。
世紀の前進は鬼と呼ばれる力で、今日まであったかに覚えるは、
非才浅学のざれ言と、ののしられようか。
(森繁久彌)
【著者紹介】
●森繁久彌 (もりしげ・ひさや)
大正2(1913)年、大阪府枚方市に生れる。2歳の時に父・菅沼達吉が死去。大正9年、母方祖父の姓を継ぎ森繁久彌に。昭和10年、早稲田大学商学部入学。昭和11年、東宝新劇団に入団、解散し東宝劇団歌舞伎、次いでロッパ一座に。昭和14年、NHKアナウンサー試験を経て、満洲の新京中央放送局に勤務。昭和21年、新京で劇団コッコ座を結成、11月帰国。昭和22年、「女優」で映画初出演。昭和24年、新宿ムーラン・ルージュに参加。昭和25年、「腰抜け二刀流」で映画初主演。昭和28年、「半七捕物帳 十五夜御用心」でテレビ初出演。昭和30年、映画「警察日記」「夫婦善哉」大ヒット。昭和31年、ブルーリボン賞、「へそくり社長」で「社長シリーズ」始まる。昭和33年、「駅前旅館」で「駅前シリーズ」始まる。昭和35年、初プロデュースの主演映画「地の涯に生きるもの」。この撮影で「知床旅情」作詞・作曲。昭和37年、森繁劇団の旗揚げで「南の島に雪が降る」上演。昭和42年、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」初演(主演テヴィエ役、昭和61年に900回を迎える)。昭和48年、映画「恍惚の人」大ヒット。昭和59年、文化功労者。平成3年、俳優として初の文化勲章を受章。平成16年、映画「死に花」で最後の映画出演。テレビドラマ「向田邦子の恋文」で最後の演技。平成21(2009)年11月10日死去。12月、国民栄誉賞が追贈。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです