- 粕谷一希 著
- 四六変上製 184頁
ISBN-13: 9784894349612
刊行日: 2014/3
「文章とは、その総体が人間の精神であり、思想なのである。」
古典から新刊まで古今東西の書物の世界を自在に逍遥し、同時代だけでなく通時的な論壇・文壇の見取り図を描いてきた名編集者が、折に触れて書き留めてきた、書物の中の珠玉のことばたち。時代と人間の本質を映すことばを通じて読者を導く、最高の読書案内。
目次
芥川以後 ―――芥川龍之介 辞世の句
「文学を捨てる」 ―――アルチュル・ランボオ『地獄の季節』小林秀雄訳
言葉の極限 ―――アルチュル・ランボオ『地獄の季節』小林秀雄訳
川端さんとの出会い ―――川端康成『雪国』
川端康成の弔辞 ―――川端康成「横光利一弔辞」
転向小説 ―――林房雄『青年』
“転向”を超える ―――島木健作『生活の探求』
太宰治の世界 ―――太宰治『津軽』
日本浪曼派の力 ―――保田與重郎『改版 日本の橋』
明治に始まった口語体文章は昭和初頭に完成した。 ―――敗兵の眼 ―――大岡昇平『野火』
第一次戦後派の意味 ―――大岡昇平『野火』
中島敦という存在 ―――中島敦『李陵』
司馬遷との対峙 ―――武田泰淳『司馬遷』
文芸評論の位置 ―――武田泰淳『司馬遷』
第一次戦後派の豊饒さ ―――椎名麟三『神の道化師』
批評に哲学を ―――三角帽子
万能作家の誕生 ―――井上靖『天平の甍』
軽薄と壮重 ―――吉行淳之介
“第三の新人”の世界 ―――安岡章太郎『質屋の女房』
母性型キリスト像の成立 ―――遠藤周作『死海のほとり』
戦争文学と歴史認識 ―――阿川弘之『雲の墓標』
人生の場面転換 ―――幸田文『流れる』
北杜夫のような生き方 ―――北杜夫『楡家の人びと』
無期囚の前途 ―――小木貞孝『死刑囚と無期囚の心理』
大人の思考力 ―――加賀乙彦『帰らざる夏』
開高健と佐治敬三 ―――開高健「パニック」
根っからの東京っ子、昭和っ子 ―――山口瞳『新東京百景』
文学史と裁判史を知る眼 ―――中村稔『樋口一葉考』
維新の出発点 ―――徳富猪一郎『吉田松陰』
なぜ幕府は滅びたのか ―――福地桜痴『幕府衰亡論』
子母沢寛の言葉の芸 ―――子母沢寛『勝海舟』
『夢酔独言』の無類の面白さ ―――勝小吉『夢酔独言』
維新の保守派 ―――平尾道雄『子爵谷干城伝』
小栗上野介という存在 ―――高橋敏『小栗上野介忠順と幕末維新』
慶喜をどう評価するか ―――山川浩『京都守護職始末』
慶喜右往左往
維新と近代化 西欧への留学生たち ―――犬塚孝明『薩摩藩英国留学生』
「パックス・トクガワーナ」の意味 ―――徳川恒孝『江戸の遺伝子』
兵馬の権はいずこにありや 西周の全貌 ―――清水多吉『西周』
人間から見る近代政治史 ―――服部之総『明治の政治家たち』
悲劇の発端 ―――ハインリッヒ・シュネー『「満州国」見聞記』金森誠也訳
日本人の歴史認識 ―――日暮吉延『東京裁判』
日本人の中国認識 ―――岡本隆司『李鴻章』
天才を描くこと ―――秋山駿『信長』
世界史という言葉 ―――鈴木成高『ランケと世界史学』
歴史の再構成を ―――原勝郎『東山時代における一縉紳の生活』
都市研究の自由さ ―――今井登志喜『都市発達史研究』
二十一世紀の史学論を ―――林健太郎『史学概論』
とぼけた戦略家 ―――塚本哲也『メッテルニヒ』
歴史家の洞察の基礎 ―――塚本哲也『メッテルニヒ』
モンゴルの不思議 ―――司馬遼太郎『草原の記』
新しい世界史の構想 ―――羽田正『新しい世界史へ』
李陵 中島敦から護雅夫 ―――護雅夫『李陵』
和辻哲郎の倫理学 ―――和辻哲郎『人間の学としての倫理学』
移り気な世相 社会の真理 ―――和辻哲郎『続日本精神史研究』
「東京人」求め、噛みしめた「粋」 ―――九鬼周造『「いき」の構造』
不思議な書物 ―――九鬼周造『「いき」の構造』
波多野精一のアガペー ―――波多野精一『時と永遠』
価値判断の根拠を問う ―――田辺元『哲学と科学との間』
昭和の思想界のチャンピオン ―――三木清「人間学のマルクス的形態」
三木清の言葉 ―――三木清「読書子に寄す」
ナチズムは、何故起ったか ―――西谷啓治『根源的主体性の哲学』
日本の国家学の水準 ―――尾高朝雄『国家構造論』
多元的国家論 ―――高田保馬『国家と階級』
「多数が決定する」という命題の批判 ―――カール・シュミット『憲法理論』尾吹善人訳
人種崇拝の起源 ―――エルンスト・カッシーラー『国家の神話』宮田光雄訳
国家を考える ―――ヘルマン・へラー『国家学』安世舟訳
政治と政治学の不思議な関係 ―――南原・矢部・蝋山『小野塚喜平次 人と業績』
“新しい哲学”とナチズム ―――ユルゲン・ハーバーマス「ハイデガー」山本尤訳
賢者の残した言葉 ―――田中美知太郎『善と必然との間に』
正義か秩序か ―――丸山眞男『増補版 現代政治の思想と行動』
巧みなアフォリズムで魅了 ―――永井陽之助『平和の代償』
取材活動の三原則 ―――松本重治『上海時代』
〈天声人語〉と〈編集手帳〉 ―――社会部ダネの元祖 ―――本田一郎『仕立屋銀次』
学芸員万歳! ―――平川祐弘『アーサー・ウェイリー』
時勢への禁欲 ―――森鷗外「澀江抽斎」
700円の訳本 あの感触 ―――ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳
青春時代の記念碑 ―――ハンナ・アーレント『人間の条件』志水速雄訳
「文学を捨てる」 ―――アルチュル・ランボオ『地獄の季節』小林秀雄訳
言葉の極限 ―――アルチュル・ランボオ『地獄の季節』小林秀雄訳
川端さんとの出会い ―――川端康成『雪国』
川端康成の弔辞 ―――川端康成「横光利一弔辞」
転向小説 ―――林房雄『青年』
“転向”を超える ―――島木健作『生活の探求』
太宰治の世界 ―――太宰治『津軽』
日本浪曼派の力 ―――保田與重郎『改版 日本の橋』
明治に始まった口語体文章は昭和初頭に完成した。 ―――敗兵の眼 ―――大岡昇平『野火』
第一次戦後派の意味 ―――大岡昇平『野火』
中島敦という存在 ―――中島敦『李陵』
司馬遷との対峙 ―――武田泰淳『司馬遷』
文芸評論の位置 ―――武田泰淳『司馬遷』
第一次戦後派の豊饒さ ―――椎名麟三『神の道化師』
批評に哲学を ―――三角帽子
万能作家の誕生 ―――井上靖『天平の甍』
軽薄と壮重 ―――吉行淳之介
“第三の新人”の世界 ―――安岡章太郎『質屋の女房』
母性型キリスト像の成立 ―――遠藤周作『死海のほとり』
戦争文学と歴史認識 ―――阿川弘之『雲の墓標』
人生の場面転換 ―――幸田文『流れる』
北杜夫のような生き方 ―――北杜夫『楡家の人びと』
無期囚の前途 ―――小木貞孝『死刑囚と無期囚の心理』
大人の思考力 ―――加賀乙彦『帰らざる夏』
開高健と佐治敬三 ―――開高健「パニック」
根っからの東京っ子、昭和っ子 ―――山口瞳『新東京百景』
文学史と裁判史を知る眼 ―――中村稔『樋口一葉考』
維新の出発点 ―――徳富猪一郎『吉田松陰』
なぜ幕府は滅びたのか ―――福地桜痴『幕府衰亡論』
子母沢寛の言葉の芸 ―――子母沢寛『勝海舟』
『夢酔独言』の無類の面白さ ―――勝小吉『夢酔独言』
維新の保守派 ―――平尾道雄『子爵谷干城伝』
小栗上野介という存在 ―――高橋敏『小栗上野介忠順と幕末維新』
慶喜をどう評価するか ―――山川浩『京都守護職始末』
慶喜右往左往
維新と近代化 西欧への留学生たち ―――犬塚孝明『薩摩藩英国留学生』
「パックス・トクガワーナ」の意味 ―――徳川恒孝『江戸の遺伝子』
兵馬の権はいずこにありや 西周の全貌 ―――清水多吉『西周』
人間から見る近代政治史 ―――服部之総『明治の政治家たち』
悲劇の発端 ―――ハインリッヒ・シュネー『「満州国」見聞記』金森誠也訳
日本人の歴史認識 ―――日暮吉延『東京裁判』
日本人の中国認識 ―――岡本隆司『李鴻章』
天才を描くこと ―――秋山駿『信長』
世界史という言葉 ―――鈴木成高『ランケと世界史学』
歴史の再構成を ―――原勝郎『東山時代における一縉紳の生活』
都市研究の自由さ ―――今井登志喜『都市発達史研究』
二十一世紀の史学論を ―――林健太郎『史学概論』
とぼけた戦略家 ―――塚本哲也『メッテルニヒ』
歴史家の洞察の基礎 ―――塚本哲也『メッテルニヒ』
モンゴルの不思議 ―――司馬遼太郎『草原の記』
新しい世界史の構想 ―――羽田正『新しい世界史へ』
李陵 中島敦から護雅夫 ―――護雅夫『李陵』
和辻哲郎の倫理学 ―――和辻哲郎『人間の学としての倫理学』
移り気な世相 社会の真理 ―――和辻哲郎『続日本精神史研究』
「東京人」求め、噛みしめた「粋」 ―――九鬼周造『「いき」の構造』
不思議な書物 ―――九鬼周造『「いき」の構造』
波多野精一のアガペー ―――波多野精一『時と永遠』
価値判断の根拠を問う ―――田辺元『哲学と科学との間』
昭和の思想界のチャンピオン ―――三木清「人間学のマルクス的形態」
三木清の言葉 ―――三木清「読書子に寄す」
ナチズムは、何故起ったか ―――西谷啓治『根源的主体性の哲学』
日本の国家学の水準 ―――尾高朝雄『国家構造論』
多元的国家論 ―――高田保馬『国家と階級』
「多数が決定する」という命題の批判 ―――カール・シュミット『憲法理論』尾吹善人訳
人種崇拝の起源 ―――エルンスト・カッシーラー『国家の神話』宮田光雄訳
国家を考える ―――ヘルマン・へラー『国家学』安世舟訳
政治と政治学の不思議な関係 ―――南原・矢部・蝋山『小野塚喜平次 人と業績』
“新しい哲学”とナチズム ―――ユルゲン・ハーバーマス「ハイデガー」山本尤訳
賢者の残した言葉 ―――田中美知太郎『善と必然との間に』
正義か秩序か ―――丸山眞男『増補版 現代政治の思想と行動』
巧みなアフォリズムで魅了 ―――永井陽之助『平和の代償』
取材活動の三原則 ―――松本重治『上海時代』
〈天声人語〉と〈編集手帳〉 ―――社会部ダネの元祖 ―――本田一郎『仕立屋銀次』
学芸員万歳! ―――平川祐弘『アーサー・ウェイリー』
時勢への禁欲 ―――森鷗外「澀江抽斎」
700円の訳本 あの感触 ―――ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳
青春時代の記念碑 ―――ハンナ・アーレント『人間の条件』志水速雄訳
関連情報
文章はどんな場合でも、単なる研究として客観的なものにはならない。その行間から、あるいは余白から多くの言葉を語りかける。その総体が人間の精神であり、思想なのである。武田泰淳は同時代の京都学派の“世界史的立場”を横目で見ながら皮肉っている。現代人が古典の前に立ったとき、いかに軽いものであるか。人類の古典が語る“歴史意識”の奥の深さを身を以て実感したのであろう。
こうした態度を見据えるとき、われわれは大学での学問研究、外国研究がいかに“精神の格闘”を置きざりにしているかを思い知らされる。外国研究が往々にして知識の多寡の競争に陥っていることは日常接することである。文章とは知識で書くものなのか。文章の情感、レトリックが改めて問われる。文章とは主観・客観、主体と客体、主体同士の複雑微妙な関係の投影である。人間精神の緊張と昂揚、リズムと流れは驚きと偶然から生まれる。それは個人の営みを超える、この世の不可思議そのものなのだろう。
(「文芸評論の位置――武田泰淳『司馬遷』」より)
こうした態度を見据えるとき、われわれは大学での学問研究、外国研究がいかに“精神の格闘”を置きざりにしているかを思い知らされる。外国研究が往々にして知識の多寡の競争に陥っていることは日常接することである。文章とは知識で書くものなのか。文章の情感、レトリックが改めて問われる。文章とは主観・客観、主体と客体、主体同士の複雑微妙な関係の投影である。人間精神の緊張と昂揚、リズムと流れは驚きと偶然から生まれる。それは個人の営みを超える、この世の不可思議そのものなのだろう。
(「文芸評論の位置――武田泰淳『司馬遷』」より)
著者紹介
●粕谷一希(かすや・かずき)
1930年東京生まれ。東京大学法学部卒業。1955年,中央公論社に入社,1967年より『中央公論』編集長を務める。1978年,中央公論社退社。1986年,東京都文化振興会発行の季刊誌『東京人』創刊とともに,編集長に就任。他に『外交フォーラム』創刊など。1987年,都市出版(株)設立,代表取締役社長となる。現在,評論家。
著書に『河合栄治郎――闘う自由主義者とその系譜』(日本経済新聞社出版局),『二十歳にして心朽ちたり――遠藤麟一朗と「世代」の人々』『面白きこともなき世を面白く――高杉晋作遊記』(新潮社),『鎮魂――吉田満とその時代』(文春新書),『編集とは何か』(共著)『反時代的思索者――唐木順三とその周辺』『戦後思潮――知識人たちの肖像』『内藤湖南への旅』『〈座談〉書物への愛』『歴史をどう見るか』(以上,藤原書店),『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社),『中央公論社と私』(文藝春秋)など。
『粕谷一希随想集』全3巻(藤原書店)近刊。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1930年東京生まれ。東京大学法学部卒業。1955年,中央公論社に入社,1967年より『中央公論』編集長を務める。1978年,中央公論社退社。1986年,東京都文化振興会発行の季刊誌『東京人』創刊とともに,編集長に就任。他に『外交フォーラム』創刊など。1987年,都市出版(株)設立,代表取締役社長となる。現在,評論家。
著書に『河合栄治郎――闘う自由主義者とその系譜』(日本経済新聞社出版局),『二十歳にして心朽ちたり――遠藤麟一朗と「世代」の人々』『面白きこともなき世を面白く――高杉晋作遊記』(新潮社),『鎮魂――吉田満とその時代』(文春新書),『編集とは何か』(共著)『反時代的思索者――唐木順三とその周辺』『戦後思潮――知識人たちの肖像』『内藤湖南への旅』『〈座談〉書物への愛』『歴史をどう見るか』(以上,藤原書店),『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社),『中央公論社と私』(文藝春秋)など。
『粕谷一希随想集』全3巻(藤原書店)近刊。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです