- 鶴見祐輔 著
- 一海知義 校訂
- 四六変上製 616頁
ISBN-13: 9784894344815
刊行日: 2005/11
後藤新平の全生涯を描いた金字塔!
医療・交通・通信・都市計画等の内政から、対ユーラシア及び新大陸の世界政策まで、百年先を見据えた先駆的な構想を次々に打ち出し、同時代人の度肝を抜いた男、後藤新平。その知られざる業績の全貌を初めて明らかにする。
波乱万丈の生涯を、膨大な一次資料を駆使して描ききった評伝の金字塔。完全に新漢字・現代仮名遣いに改め、資料には釈文を付した決定版。
目次
第五巻 『第二次桂内閣時代 1908-16』より続く
第3章 寺内内閣時代 1916~18年
1 新内閣の副総理
2 政網と政策
3 内務大臣
4 第3次鉄道院総裁
5 解散および総選挙
6 特別議会
7 通常議会
8 和子夫人の永眠
9 外務大臣
10 外交調査会
11 シベリア出兵
12 寺内内閣の総辞職
関連情報
■野にあって大隈内閣打倒を目指した後藤新平は、1916年10月、寺内正毅“超然内閣”樹立に成功し、自ら副総理格の内相兼鉄道院総裁に就任する。外交刷新、予算編成や財政計画に取り組み、内務省改革や警察官増員などを行った。議会では、加藤高明率いる憲政会の攻撃の矢面に立つ一方、鉄道広軌化を閣議決定にもちこみ、解散後の総選挙にも政友会や国民党と結んで勝ちぬいた。
■直面する最大の課題は外交問題であった。第一次大戦にいよいよ米国が参戦、ロシア革命によりソ連政府が成立するなど、世界情勢が混迷を深める一方、中国大陸では北京政府と南方政府との争いが続く。さらにソ連と結んだドイツの東漸が予想され、シベリア地域が風雲急を告げるなか、独ソを挟み撃ちしようとする英仏伊三国から、日米に対しシベリア出兵を強く要請される。既に原敬や犬養毅らとともに臨時外交調査委員会を立ち上げていた後藤は、1918年4月、外務大臣に転じ、北京政府と軍事協定を結んで中ロ国境のおさえとしつつ、米国と出兵問題について意見交換を重ね、欧米の利害が東アジア地域に集中しつつある国際情勢のなか、シベリア出兵促進の意見書を提出する。
■1918年8月2日、政府はシベリア出兵を宣言。直後から米価騰貴が激化し、8月5日、ついに富山県を皮切りに各地で米騒動が勃発。首相の病もあり、9月21日、内閣は総辞職する。そして11月11日、休戦条約が成立、三年余にわたった第一次世界大戦は終結することになる。
■直面する最大の課題は外交問題であった。第一次大戦にいよいよ米国が参戦、ロシア革命によりソ連政府が成立するなど、世界情勢が混迷を深める一方、中国大陸では北京政府と南方政府との争いが続く。さらにソ連と結んだドイツの東漸が予想され、シベリア地域が風雲急を告げるなか、独ソを挟み撃ちしようとする英仏伊三国から、日米に対しシベリア出兵を強く要請される。既に原敬や犬養毅らとともに臨時外交調査委員会を立ち上げていた後藤は、1918年4月、外務大臣に転じ、北京政府と軍事協定を結んで中ロ国境のおさえとしつつ、米国と出兵問題について意見交換を重ね、欧米の利害が東アジア地域に集中しつつある国際情勢のなか、シベリア出兵促進の意見書を提出する。
■1918年8月2日、政府はシベリア出兵を宣言。直後から米価騰貴が激化し、8月5日、ついに富山県を皮切りに各地で米騒動が勃発。首相の病もあり、9月21日、内閣は総辞職する。そして11月11日、休戦条約が成立、三年余にわたった第一次世界大戦は終結することになる。