- 鶴見祐輔 著
- 一海知義 校訂
- 四六変上製 696頁
ISBN-13: 9784894345256
刊行日: 2006/7
後藤新平の全生涯を描いた金字塔!
医療・交通・通信・都市計画等の内政から、対ユーラシア及び新大陸の世界政策まで、百年先を見据えた先駆的な構想を次々に打ち出し、同時代人の度肝を抜いた男、後藤新平。その知られざる業績の全貌を初めて明らかにする。
波乱万丈の生涯を、膨大な一次資料を駆使して描ききった評伝の金字塔。完全に新漢字・現代仮名遣いに改め、資料には釈文を付した決定版。
目次
第七巻『東京市長時代 1919-23』より続く
第4章 対ヨッフェ交渉 1923年
4 東京会商
5 非公式予備交渉
第5章 帝都復興 1923年
1 山本地震内閣の成立
2 帝都復興計画
3 復興審議会
4 臨時議会
第6章 政治の倫理化 1926~28年
1 倫理化運動
2 普選準備会
第7章 晩 年 1922~28年
1 満鮮の旅
2 関係諸団体
3 放送局
4 少年団および青年団
第8章 最後の訪露 1927~28年
1 最後の御奉公
2 旅 次
3 協同対支提言の折衝
4 滞露の日々
5 漁業条約交渉
6 帰 朝
第9章 臨 終 1928~29年
1 発 病
2 葬 儀
全巻目次
関連情報
■日露国交に向けて、ロシア極東大使ヨッフェとの非公式予備交渉に、一私人として臨んでいた後藤新平は、日露交渉を政府の手に移すが、結局、交渉は打ち切りとなり、ヨッフェは帰国する。後藤が夏季大学の講演から戻った直後、加藤友三郎首相が死去、大命は山本権兵衛に下った。
■組閣に入ろうとした大正12年9月1日、関東大震災が帝都を襲う。翌日、山本内閣が成り、後藤は内相として入閣、猛烈な勢いで罹災民救済と復興計画に没頭、復興院総裁を兼任し、復興予算30億円を見積もって新帝都建設に意欲を燃やすが、さまざまな抵抗に遭って3億4000万円に削られ臨時議会を通過する。
■その直後、虎ノ門事件が起こり、山本内閣は引責辞職。下野した後藤は少年団の育成や東京放送局(現・NHK)の創立に総裁として活躍する。昭和元年2月の最初の脳溢血が癒えた頃、第51議会の混乱を見て、政治の倫理化運動を志し、全国津々浦々で講演、小冊子『政治の倫理化』百万部を刊行する。
■昭和2年8月の二度目の脳溢血を経て、訪露を決行する。モスクワではスターリンほかソ連首脳と会談、日露漁業協約成立にも尽力する。帰国後、国民への遺言となる三大政策を斎藤實らに託す。岡山の講演への往路、列車内で三度目の脳溢血を発し、昭和4年4月13日、京都の病院で亡くなった。享年71。幕末から昭和初頭にかけて怒涛のように生きた快男子後藤新平は、今、東京青山墓地に和子夫人とともに眠っている。
■組閣に入ろうとした大正12年9月1日、関東大震災が帝都を襲う。翌日、山本内閣が成り、後藤は内相として入閣、猛烈な勢いで罹災民救済と復興計画に没頭、復興院総裁を兼任し、復興予算30億円を見積もって新帝都建設に意欲を燃やすが、さまざまな抵抗に遭って3億4000万円に削られ臨時議会を通過する。
■その直後、虎ノ門事件が起こり、山本内閣は引責辞職。下野した後藤は少年団の育成や東京放送局(現・NHK)の創立に総裁として活躍する。昭和元年2月の最初の脳溢血が癒えた頃、第51議会の混乱を見て、政治の倫理化運動を志し、全国津々浦々で講演、小冊子『政治の倫理化』百万部を刊行する。
■昭和2年8月の二度目の脳溢血を経て、訪露を決行する。モスクワではスターリンほかソ連首脳と会談、日露漁業協約成立にも尽力する。帰国後、国民への遺言となる三大政策を斎藤實らに託す。岡山の講演への往路、列車内で三度目の脳溢血を発し、昭和4年4月13日、京都の病院で亡くなった。享年71。幕末から昭和初頭にかけて怒涛のように生きた快男子後藤新平は、今、東京青山墓地に和子夫人とともに眠っている。