- 赤坂憲雄+鶴見和子 著
- 四六上製 256頁
ISBN-13: 9784894348660
刊行日: 2015/7
鶴見和子は、赤坂憲雄に何を語り遺したのか――鶴見和子、最後の対話
生涯をかけて「内発的発展論」を追究した社会学者・鶴見和子(1918-2006)が、鶴見に背中を押され「東北学」へ踏み出した赤坂憲雄との対話のなかで、死の3か月前に語り遺したこととは何か。東日本大震災を経て、地域社会の解体と、自然と人間との関係の苛烈な再編成に直面しているわれわれが、いま一度、地域に立脚した未来像を描く方途を探る。
目次
序論 3・11以後の鶴見和子論のために (赤坂憲雄)
〈幕間〉凜として群れぬ生き姿――鶴見和子さんを悼む (赤坂憲雄)
第Ⅰ部 〈対談〉内発的発展論と東北学 (赤坂憲雄・鶴見和子)
〈幕間〉柳田民俗学のかくし味 (鶴見和子)
東北芸術工科大学 東北文化研究センター (赤坂憲雄)
第Ⅱ部 柳田国男から東北学へ
〈講演・対談〉柳田・民俗学・東北 (赤坂憲雄・鶴見和子)
柳田国男から内発的発展論へ (赤坂憲雄)
〈対談〉地球志向の比較学 (赤坂憲雄・鶴見和子)
あとがき (赤坂憲雄)
関連情報
「産土という問題にこだわった、対談のなかの鶴見さんと、「故郷/異郷」をめぐるよじれた構図について語り合ってみたかった、といまにして思う。鶴見さんはその最晩年に、なぜ、産土があることの幸福に憧れ、故郷への回帰願望につかの間身を寄せたのか。思想家としての鶴見和子はあきらかに、どこにいても異郷しか発見できない故郷喪失者の一人であったはずだ。それゆえに、漂泊と定住をめぐる社会的な変容のダイナミズムに眼を凝らし、漂泊する人々の果たすべき役割にたいして大きな価値を与えようとした。みずからの異邦人性を徹底して自覚しつつ、しかも近代を超える道筋を探りもとめていたのではなかったか。」
(赤坂憲雄「序論」より)
(赤坂憲雄「序論」より)
著者紹介
●赤坂憲雄(あかさか・のりお)
1953年生。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長。遠野文化研究センター所長。1999年、責任編集による『東北学』を創刊。
著書『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)『司馬遼太郎 東北をゆく』(人文書院)『民俗学と歴史学』『歴史と記憶』(共著)『震災考』『鎮魂と再生』(編著)『世界の中の柳田国男』(R・A・モースと共編、以上藤原書店)等。
●鶴見和子(つるみ・かずこ)
1918年生まれ。上智大学名誉教授。専攻・比較社会学。1939年津田英学塾卒業後、41年ヴァッサー大学哲学修士号取得。66年プリンストン大学社会学博士号を取得。論文名Social Change and the Individual:Japan before and after Defeat in World War II(Princeton Univ.Press,1970)。69年より上智大学外国語学部教授、同大学国際関係研究所員(82-84年、同所長)。95年南方熊楠賞受賞。99年度朝日賞受賞。
15歳より佐佐木信綱門下で短歌を学び、花柳徳太郎のもとで踊りを習う(20歳で花柳徳和子を名取り)。1995年12月24日、自宅にて脳出血に倒れ、左片麻痺となる。2006年7月歿。
著書に『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(全9巻)『歌集 回生』『歌集 花道』『歌集 山姥』『南方熊楠・萃点の思想』『鶴見和子・対話まんだら』『「対話」の文化』『いのちを纏う』『遺言』(以上、藤原書店)など多数。2001年9月には、その生涯と思想を再現した映像作品『回生 鶴見和子の遺言』を藤原書店から刊行。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです
1953年生。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長。遠野文化研究センター所長。1999年、責任編集による『東北学』を創刊。
著書『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)『司馬遼太郎 東北をゆく』(人文書院)『民俗学と歴史学』『歴史と記憶』(共著)『震災考』『鎮魂と再生』(編著)『世界の中の柳田国男』(R・A・モースと共編、以上藤原書店)等。
●鶴見和子(つるみ・かずこ)
1918年生まれ。上智大学名誉教授。専攻・比較社会学。1939年津田英学塾卒業後、41年ヴァッサー大学哲学修士号取得。66年プリンストン大学社会学博士号を取得。論文名Social Change and the Individual:Japan before and after Defeat in World War II(Princeton Univ.Press,1970)。69年より上智大学外国語学部教授、同大学国際関係研究所員(82-84年、同所長)。95年南方熊楠賞受賞。99年度朝日賞受賞。
15歳より佐佐木信綱門下で短歌を学び、花柳徳太郎のもとで踊りを習う(20歳で花柳徳和子を名取り)。1995年12月24日、自宅にて脳出血に倒れ、左片麻痺となる。2006年7月歿。
著書に『コレクション 鶴見和子曼荼羅』(全9巻)『歌集 回生』『歌集 花道』『歌集 山姥』『南方熊楠・萃点の思想』『鶴見和子・対話まんだら』『「対話」の文化』『いのちを纏う』『遺言』(以上、藤原書店)など多数。2001年9月には、その生涯と思想を再現した映像作品『回生 鶴見和子の遺言』を藤原書店から刊行。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです